武道授業は抽象的な精神論重視ではなく、「教科の目標」を達成せよ
文部科学省は「生きる力の向上」「伝統と文化の尊重」「相手を尊重し敬意を払う」「人間としての望ましい自己形成を重視する」とかどうにでも受け止めることができる抽象的な表現を用いて学習指導要領や武道必修化の目的を語りがちなため、武道徳育論者は「道徳の代わりに武道が教科になった」「武道授業は点数化しない方が良い」「武道必修化の狙いは人づくり」とか、武道授業を道徳の授業と同一視する発言を繰り返しており、教育の現場を混乱させています。僅か年10時間程度の授業で文科省や武道関係者が礼儀や武道精神が身に付くと思っているのなら、とんだお笑い草です。
ちなみに多少横道にそれますが、「道徳の代わりに武道が教科になった」という趣旨の発言は、義家弘介文部科学副大臣もしています。副大臣就任以前の発言ですが、「道徳を教科化すると価値観を押し付けるのかと大騒ぎになる。ならばこれは過去から日本がずっと大事にしていた武道を、世界中が注目する武道をしっかりと公教育の中で教える必要があるだろうと武道を必修にした」(Yu:文化と教育の総合サイト ヤンキー先生が斬る!!vol.34 2012年5月25日)と語っているのです。
武道授業の「道徳代用論」を唱える義家副大臣の予想に反して、文科省は2015年3月、今まで教科外の活動という位置付けであった道徳の授業を2018年度以降、点数化を行わない「特別の教科」に格上げすることを決めました。それならば、道徳の代用として必修となったという武道は必修から外れて「御役御免」とならなければ辻褄が合わなくなりませんか?
本論に戻りますが、武道の授業の「教科の目標」とは、本来の武道の機能的特性が「競争型(勝敗を競う面白さを味わう)」、「達成型(技を身に付ける喜びを味わう)」であることを理解した上で、それに準拠した指導内容を提供することと、生徒自身に楽しさ体験を与えて、武道をやりたいという内発的動機付けを芽生えさせることに他なりませんが、それが蔑ろにされています。これは明らかに費用対効果の低い授業です。
次回はいよいよ中学校武道必修化費用問題を総括します。
<取材・文/磯部晃人(フジテレビ)>
【中学校武道必修化の是非を問う 連載第5回】