漫画『進撃の巨人』で政治のエッセンスを。 良質なエンターテイメントは「政治離れ」の処方箋

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shuu / PIXTA(ピクスタ)

若者どころか日本人総政治離れ

 「若者の政治離れ」が憂慮されるようになって久しい。最初に政治離れが指摘された世代はすでにいい大人になり、政治離れはもはや若者だけの問題ではなくなっているに違いない。近年の政権の見るに堪えないほどの体たらくは、政治離れの悪影響がどのようなものかを如実に表しているように思える。  かくいう筆者も政治離れした若者だった。政治問題について得意げに話す同級生に嫌悪感に近い感情を抱いたこともあったし、芸能人の政治的発言に言い知れぬ違和感を覚えたこともあった。街頭演説やポスターを用いた選挙立候補者たちの古めかしいアピールをカッコ悪いと思ったし(これは今も変わらないか)、政治家という職業に憧れを抱いたことは皆無だった。  そんな筆者が政治に興味を持つようになったきっかけは複数ある。近年の例で特に大きかったのは、10年前に東日本大震災と福島第一原発事故に直面したことだ。原発事故後の避難基準の不可解さも、一部の避難者たちに対する扱いの理不尽さも政治が作り出したものだったし、本来は科学や医学であるはずの放射線被ばくの健康影響の評価にも、陰に陽に政治が食い込んでいるようだった。そして何より、原発政策という名の政治が、自分を含む多くの人々の生活や命を脅かしうるものであることを、“身に染みて”思い知らされた。  そして今、この終わりの見えない新型コロナ禍において、政治が、中でも選挙等を通じての首長選びが極めて重要なものであり、その正誤が我々の健康や生死すらも左右するものであることを改めて“身に染みて”思い知らされているのは、筆者だけではないだろう。

「進撃の巨人」で気づく政治の重要性

 このような現実の大問題に直面し“身に染みて”知る体験は、政治の重要さに気づき、興味を持つきっかけとして大変に貴重なものだ。しかし、“身に染みて”知るための方法はそれだけではない。  より手軽に“身に染みる”ことができる方法として、良質なエンターテイメント作品、例えば名作漫画を利用する方法がある。質の良い漫画は読者をぐいぐいと物語世界に引きずり込み、知らぬ間に登場人物たちに感情移入させてくれる。そして、その物語に政治的な要素が散りばめられているとき、読者は絶品のエンターテイメントを楽しみながら、それらの政治要素に自然と興味を持ち、思いを巡らせることができる。  教科書で学ぶ政治からは堅苦しさを、政治ドキュメンタリーからは時に説教臭さを感じることがあるが、架空の物語をベースにした良質の漫画の中で触れられる政治は、そのような苦痛を伴うことなく頭に飛び込んでくる。感情移入した登場人物たちの視線を通して、政治を仮想体験させてくれる。  最近、そのような得がたい経験をさせてくれたのが、諫山創氏による傑作漫画『進撃の巨人』だ。当初は人間と人食い巨人の死闘を主軸としたアクション漫画として人気を博した同作だが、巨人たちを“駆逐”した主人公たちが巨大な塩水の領域“海”に初めて到達したところからスタートする「マーレ編」からは、人対人の人間ドラマが物語の主軸になっていく。そしてそこには、多くの政治要素が登場する。
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仮想体験する差別の過酷や悪政下の不条理
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