更に球場の外だけでなく、野球の面でも適応に時間がかかったという。
「パ・リーグの投手はコントロール重視というより、球威で押してくるケースが多かった。それがセ・リーグでは四隅を丁寧につく、制球重視のスタイルが主流でした。ストライクゾーンも感覚的にボール一個分程度は広かったですね」
当時は、阪神、巨人、中日の3強がセの覇権を争っていた。
葛城は、特に「鬼門」と呼ばれたナゴヤドームでの中日戦には苦い思い出がある。
「僕が対戦した中で一番嫌だった投手は、川上憲伸さん。コントロールが抜群で、谷繁さんのリードも含めて厳しい相手でした。パ・リーグでは谷繁さんのようなリードをする捕手や、憲伸さんのような投球術で攻めてくる経験をしたことがなかったので、適応するのに時間がかかりました」。
入団後2シーズンは、セ・リーグに慣れるのに時間を要したが3年目以降は徐々に慣れていき出場機会を増やしていく。特に2007~2009年は100試合前後の試合に出場し、チームの4年連続Aクラス入りにも貢献した。