フォークランド北方油田の埋蔵量が大規模だと発覚。領有権争い再燃の可能性も

フォークランド諸島領有権主張の歴史

 両国が領有権を主張するまでの背景を簡略に以下説明しよう。フォークランドは16世紀に英国人によって発見された島だという。18世紀になると英仏戦争の影響でフォークランドも両国で分割されて、英国人とフランス人が住みつくようになったという。そして港も二つ出来た。その後、フランスはフォークランドをスペインのブルボン家に売却。スペイン人が早速同島に住みついて島を占拠し、英国住民にそれを認めさせたという。1811年にアルゼンチンがスペインから独立すると、島の領有権もアルゼンチンに移譲され、アルゼンチン領土となった。しかし、1833年に英国がまた島を奪回。それ以降、現在まで英国人が島に住みついている。人口はおよそ3000人。  アルゼンチンで1976年から軍事政権が誕生すると、国内の経済低迷から国民の目を逸らす意味と自国領土フォークランドが他国に実効支配されているのを奪回したいという国民の悲願もあって、1982年にガルティエリ中将の指揮のもとにフォークランドに武力侵攻するという挙動に出た。これがフォークランド戦争勃発の経緯である。  フェルナンデス前大統領はロシアから戦闘機などの購入を決めて、またフォークランドに侵攻する可能性があるかのようなしぐさを見せていた。しかし、フォークランド戦争での軍事政府の失態と国家レベルの損失の教訓はアルゼンチン国民の間に充分なほどに浸透している。しかも、それを遂行できるだけの資金もないというのが同国の現状だ。
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延伸が認められた大陸棚に入る油田の位置
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