東京大会の最初の暗雲は、
2013年4月27日、ニューヨークから飛び込んできた。アメリカを代表する
ニューヨークタイムス紙が猪瀬都知事(当時)とのインタビュー記事を掲載。そこに、ライバルの
イスタンブールを侮辱する発言が掲載されたのだ。
「イスラム教国が共有するのはアラー(神)だけで、互いにけんかばかりしており、階級がある」
「トルコの人も長生きしたいでしょう。長生きしたければ、日本のような文化を作るべきだ」
国際オリンピック委員会(IOC)は倫理規定で、他都市を批判することなどを禁じている。また、トルコのスポーツ大臣も「イスタンブールについてネガティブな評価をしたことは不公正であり残念だ」と批判した。
猪瀬氏は私の真意が伝わってないとニューヨークタイムス紙が事実をねじ曲げた報道をしたかのように反論したが、ニューヨークタイムス紙が記事には絶対の自信がある、録音もあると返答すると、猪瀬氏は急に矛を収め30日に謝罪した。
ニューヨークタイムス紙も今の文春砲のように用意周到だったわけだ。
これで、東京五輪は無くなったと日本国中は落胆したが、
実は影でもっとダーティな疑惑があった。それは後日明らかになる。
2013年9月7日。東京五輪のメインスタジアムのデザインが、インド系イギリス人の設計家、ザッハ・ハティド氏のデザインと決まる。私は、その設計デザインを見た時に、果たして金のかからない五輪になるのだろうかと改めて思ったことを昨日のように覚えている。ザッハ氏の建築物は非常に独特で街の中に忽然と現れるフォルムが、街には決して溶け込むことなく強烈な主張をする。建設費も維持費も莫大にかかるのは一目瞭然だ。日本の近隣ではソウルの東大門デザインプラザが有名だ。2014年にオープンしたものだが、好き嫌いがはっきりする建物で、まるで迷路のような建物だった。
ちなみに最終コンペでは他に2案が残っており、その一つは日本の2人組のSANAAというニューヨークを拠点とする若くして建築界のノーベル賞と言われるブリッカー賞を受賞している設計チーム(瀬島和世氏と西澤立衛氏)の案もあった。それは、時代を象徴するようなものでありながらも、周辺に溶け込み開かれたスタジアムでもあるという素晴らしいものだった。彼らの建造物はフランス・ルーブル美術館の分館であるランスのルーブル美術館、MOMAで知られるニューヨークのニューミュージアムコンテンポラリーアート美術館など世界各地にあるが、小さな建築物も素晴らしく、日本では、練馬区の集合住宅や宮城県で震災後に仮設住宅内に建てられた交流施設、東松島市宮戸島のみんなの家などは建物がどのような人々の交流を生み、それがどう人々を癒していくかが手に取るようにわかり落涙ものだ。彼らが東京五輪のメインスタジアムの設計を勝ち取ると、日本国内での評判は圧倒的になり他の大物設計士はやりにくくなるだろうが、ここは勝たせて欲しかった。