宮原記者は上記のYouTube番組で、ニュースを下記の3つに分類している。
1.事実関係や現場の状況を伝えるストレートニュース
2.物事の問題点をあぶり出し、指摘、批判する深堀り記事(有識者や現場の声をもとに指摘、批判する)
3.記者の主観的な意見を載せたコラムや社説
そして、上記の記事は「ストレートニュース」に該当し、批判的な視点を織り込んだ「深堀り記事」は別途存在していることに目を向けてほしいと主張している。
その指摘を一応は受け入れつつも、私はより深く問い直してみたい。では、ストレートニュースには記者や新聞社の「視点」や「判断」は含まれないのか、と。
例えば日本学術会議の任命拒否問題を考えてみよう。学術会議が推薦した6人の学者が任命されなかった。それは事実だ。菅義偉首相は「総合的、俯瞰的な観点」から任命を行ったと説明した。その説明は説明になっていないとは思うが、菅首相がそう語ったこと自体は事実だ。
菅首相はまた、日本学術会議の会員推薦のあり方が「閉鎖的」で、「既得権益じゃないかな」と思ったとも国会で語っている(参照:
第203回国会 参議院 予算委員会 第1号 令和2年11月5日)。これも、その認識は私は妥当ではないと思うが、菅首相がそう語ったこと自体は事実だ。
では、どれも「事実」であり、菅首相がおこなった判断や発言だから、どれもストレートニュースで報じるに値するものだろうか。
例えば、
●菅首相「既得権益じゃないか」 学術会議問題 参院予算委
といった見出しを付けて、菅首相の「既得権益」発言を報じることは可能だ。しかし、そのように報じてしまうと、
第6回の記事で取り上げた「
世論誘導」の問題が生じる可能性がある。
「菅首相がそう語ったこと自体は事実であり、それをニュースで報じただけだ」というスタンスでその「既得権益」発言を大きく報じることはできる。そして、毅然とした表情の菅首相の写真でも添えて報じれば、「そうか、学術会議は既得権益を享受している学者の集まりなのか。けしからんな。ここは菅首相には大ナタを振るってほしい」と記事を読んで考える人も出てくるだろう。
しかし、恣意的な任命拒否が問題になっているのに「既得権益」などという言葉を菅首相が持ち出すのはおかしいと新聞社が判断すれば、これはストレートニュースで報じるには値しない発言と判断することもできる。
毎日新聞は「既得権益」という菅首相の発言をそのままストレートニュースで大きく報じることはせず、翌日の深掘り記事で「口撃」の一例として下記の記事で取り上げた。賢明な判断であったと考える。
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菅首相が主張する学術会議の「既得権益」 本当にあるのか、いいがかりか – 毎日新聞 2020年11月6日
つまり、「首相がこう発言した」という「事実」があったとしても、それをストレートニュースで取り上げるか否か、というところには、
新聞社の「判断」や「視点」があるのだ。
そしてある「事実」をストレートニュースで取り上げる場合でも、どのぐらいの字数を割いてどこまでを報じるか、写真を付けるか、付けるならどういう写真を付けるか、などの判断がそこに入る。
例えば毎日新聞は10月18日に渋谷駅前で行われた「日本学術会議会員候補の任命拒否に対する抗議街宣(#1018渋谷プロテストレイヴ)」を写真・映像つきで500字あまりの字数を使って大きく報じた。
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「権力の乱用繰り返されている」 学術会議任命拒否で学者・作家らが渋谷で抗議 – 毎日新聞 2020年10月18日
記事には「アーティストらで作るグループが主催」したことも書かれており、スピーチの内容だけでなくプラカードの内容も紹介されている。
しかし、この街宣が実施されたという「事実」を報じる場合でも、例えば「渋谷駅前に集まった若者たち」を群集として捉えた写真を載せて、「なにやら怪しい集まり」のように見せることもできる。「大事な問題だと思います」という声と共に「何を騒いでいるのかわからない。迷惑」という声も紹介することによって、「迷惑だよね、まったく」という反応を呼び起こすこともできる。
このように、「事実」を伝えるストレートニュースであっても、何をどういう形で取り上げるかというところに新聞社の、あるいは記者の、「視点」があり、「判断」が働き、その「視点」や「判断」が、その記事を読んだ読者に一定の「反応」を呼び起こすという効果は持ちえるのだ。
前述のYouTube番組で宮原記者自身も、「ニュースとは、記者の意見をダイレクトに伝えるものではない」が、「もちろん、記者の意見は、書き方によって、加わってはくる」と語っている。