さらに、昨年11月8日に参議院予算委員会で田村智子議員が同年10月13日の赤旗日曜版のスクープを元に、与党議員や安倍事務所による後援会関係者の「桜を見る会」への大量招待を取り上げたあとでも、この質疑そのものの大手紙の紙面での扱いは小さなものだった。
赤旗日曜版の山本編集長は、1月6日の筆者との対談の中で、
「そもそも、もともとウチが10月13日に(スクープを)やった時も、全然、どこも追っかけず、大手紙は追っかけてくれず、田村議員が(11月8日の質疑を)やって、これはかなり話題になるかなと思うと、あまりならず…。」
と振り返っていた。
ここでも毎日新聞と朝日新聞の朝刊・夕刊記事を確認しておこう。
毎日新聞は昨年11月9日の朝刊に「
安倍首相:桜を見る会『後援会優遇』指摘 各界功労者を招待 首相『関与していない』」との542文字の記事を掲載している。大学入学共通テストに関する写真入りの記事の脇で、目立たない扱いだ。
「『後援会優遇』指摘」と田村智子議員の指摘の核心が見出しになっているが、同時に「各界功労者を招待 首相『関与していない』」も見出しとなっており、
野党の指摘を首相が否定した、と読める扱いだ。
「首相は『内閣官房と内閣府が最終的に招待者の取りまとめをしている。私は主催者としてあいさつや接遇は行うが、とりまとめには関与していない』と強調」と、
安倍首相の言い分がそのまま記されている。
実際の質疑を見ていれば、
安倍事務所が後援会関係者の参加を募っていたことが証言によって指摘され、それに対して安倍首相がまともに反論できなかったことがわかると思うのだが、その点には触れられていない。
安倍首相がこう答弁した、という報じ方は、政治部の記事としてはスタンダードなスタイルなのだろうが、このやり方だと、政権側の「言ったもん勝ち」を許してしまう。「関与していない」「指示していない」「全く問題ない」などと安倍首相や菅官房長官らが言ったら、それをそのまま報じればよいのか、という問題がここにある。
毎日新聞紙面に、「桜を見る会」が次に登場するのは、その三日後の11月12日になってからのことだ。
朝日新聞の田村質疑への反応も同様に小さなものだった。昨年11月9日の朝刊の記事「
『親睦に利用』、野党が批判 首相主催『桜を見る会』」は、454文字の記事。やはり、民間英語試験問題が大きく取り上げられた下の、小さな扱いだ。
安倍首相の地元事務所から参加案内が届けられたとの田村議員の指摘に対して安倍首相が「個人に関する情報で回答を差し控える」と繰り返したことが報じられており、毎日新聞の記事とは受ける印象が違う。しかし、記事としては目立たない。次に朝日新聞が「桜を見る会」を紙面記事に取り上げるのは、毎日新聞と同じく、三日後の11月12日だ。
つまり、田村智子議員の質疑は、それだけでは、紙面で大きく取り上げるに値するニュースだとは、毎日新聞も朝日新聞も判断しなかったということだ。
田村智子議員の質疑があったのは、11月8日の金曜日。週明けの11月11日(月)の菅官房長官の記者会見では、午前も午後も、「桜を見る会」についての質問が相次いだという(毎日新聞「桜を見る会」取材班による新刊書『
汚れた桜』による)。
つまり大手紙の政治部の記者たちは、田村議員の質疑そのものをニュースとして大きく取り上げるのではなく、その質疑でとりあげられた論点を菅官房長官の記者会見で問うことにしたのだろう。それは慎重で堅実な手法だったのかもしれないが、菅官房長官は、何も問題がないかのような受け答えを続けていた。
この11月11日に日本共産党を含む野党が「桜を見る会」追及チームを結成(のちに「追及本部」に格上げ)。翌11月12日より、追及チームによる野党合同ヒアリングが始まる。その翌日の11月13日には菅官房長官が突然、2020年の「桜を見る会」の中止を発表。この頃から、紙面記事は増えていった。
しかし後述するように、毎日新聞のデジタル記事配信に特化した組織である統合デジタル取材センターは、紙面の対応よりも早く、11月9日(土)の夜には田村議員の質疑を詳しく紹介したデジタル記事を配信していた。
なぜ大手紙は、「桜を見る会」を後援会行事として利用してきた安倍首相の行ないに問題意識を持てなかったのだろうか。赤旗日曜版が昨年10月13日にスクープを打っても反応せず、田村智子議員の質疑についても、そのものとしては大きく取り上げなかったのはなぜだろうか。
「桜を見る会」について、論点を追及して行けば行くほど問題が広がっていったあとで、東京新聞、毎日新聞、朝日新聞にはそれぞれ「反省の弁」が掲載された。何が書かれていたか、見ておこう。
東京新聞は上述の通り、昨年4月16日の段階で「こちら特報部」で「桜を見る会」の支出と参加者の増加を問題視し、内閣府に取材も行って与党の推薦者が多いことまでつかんでいた。しかし、それを続報で深めることがなかった。その点について、昨年12月19日の朝刊の「桜を見る会 疑惑 忘れてはならぬ」というコラム(「特別報道部 編集局 南端日誌」・特報部長・田原牧)には、このような率直な言葉が記されている。
**********
この話は4月16日に特報部が取り上げ、それを読んでいた宮本徹議員(共産)らが追及を始めた。ところが、私をはじめ特報部員たちは臨時国会で騒動になるまで、その記事について忘れかけていたのである。
お恥ずかしい限りだが、少人数であらゆる問題を追いかけているという楽屋事情をお察し願いたい。ただ4月のその日、担当デスクが数あるニュースの中からこのテーマを選んだことには理由がある。それはその催しに現政権の腐臭の源を感じたからだ。
**********
東京新聞「こちら特報部」には、赤旗日曜版の山本編集長と同様の問題意識があった。しかし、追及を深める体制がなかった。あるいは、そのような体制を整えなかった。赤旗日曜版は若手記者も含めて本格的に追及する体制を整えて、10月13日のスクープに至った。
毎日新聞はどうか。昨年12月14日に行われた「開かれた新聞委員会」の様子を伝える1月4日朝刊記事(
その1・
その2)では、高塚保政治部長がこう発言している。
**********
参院選後の臨時国会を迎えるにあたり内閣改造が行われましたが、2閣僚の辞任、文部科学相の『身の丈発言』に伴う大学入試での英語の民間試験導入延期など長期政権に緩みが出ている中で『桜を見る会』の問題が噴出しました。11月8日の参院予算委員会での共産党議員の質問で火がついたのですが、この質疑については翌日の朝刊記事でその面白さを伝えきれませんでした。
**********
朝日新聞も見ておこう。1月8日の「
(取材考記)共産・田村議員の『桜を見る会』追及 違和感見逃すな、取材の基礎 小林豪」では、政治部の小林豪氏が田村智子議員へのインタビューを振り返りながら、こう記している。
**********
インタビューは質問から約10日後。田村氏は「会そのものの私物化をわかりやすく描くことに集中した」と述べた。印象的だったのが「調べてみたら『後援会祭り』になっていたことが一番の驚きだった」との言葉だ。
「桜を見る会」は、それまでも予算や出席者の増加が報道でたびたび話題になっていた。招待された芸能人の画像がSNS上にアップされる会のありように私も違和感を抱いていたが、公的行事の「私物化」というところまで思いが至らなかった。田村氏は「マスコミ関係者でも『予算委を見て異常だったと気づかされた。感覚がまひしていた』という人もいた」と述べた。私も、そんな記者の一人だった。
**********
「
感覚がまひしていた」。政治部の小林氏は自分もそんな記者の一人だったと語っている。毎日新聞の高塚保政治部長の言葉は短いので詳しいことはわからないが、政治部の記者とデスクの感覚が鋭敏であれば、田村智子議員の質疑を伝える段階で大きく扱うことはできたはずだ。
「少人数であらゆる問題を追いかけている」という東京新聞「こちら特報部」とは異なり、毎日新聞や朝日新聞の政治部は、まさに政治の問題を日々追いかけている部署だから、問題意識を持てば深く掘り下げることはできたはずだ。しかし、問題意識の面でも、追及の面でも、赤旗日曜版に大きく出遅れることとなり、赤旗日曜版の記事にも反応しなかった。
赤旗日曜版の山本編集長は、
第2回の記事にも紹介したように、大手紙の政治部の記者についてこう語っていた。
**********
前、田中角栄元首相の金脈問題が出たときに、この問題も結構、私たちの先輩の赤旗記者とか、あと週刊誌なんかが発掘して問題になったんですけど、その時に、特に政治部の記者なんですけど、
大手紙の、「まあ、こんなことはもう知ってるよ」と。「角栄さんが、カネに汚いことは」って言ったんですけど、やっぱりそういう感覚っていうのは、まだ残ってるのかなと。
たぶん、安倍さんなんかについても、「安倍さんがそれって私物化しているのはまぁ知っているよ」と、まあそりゃ、皆さん前夜祭だとか、あるいは「桜を見る会」自身も行っているので、ただやっぱりそこで、その私物化っていうのが、安倍政権の手法のひとつの本質、森友・加計、これだけじゃなくて、例えば憲法なんかを見ても、歴代自民党政権でさえ集団的自衛権は行使できないと言っていたのを、閣議決定だけで、それができるようにすると。
まぁ、これはある意味で言うと、憲法の私物化ですから、やっぱり私物化っていうのが、安倍政権のひとつの本質だっていうところを、きちんと見抜くかどうかってのは、非常に大きいんじゃないかというふうに思います。
**********
政治部の記者が、情報を取るために権力者に近づき、その中で感覚を麻痺させていく。その危険性が、ここで語られているように思える。