さてここまでで恥知らずなデマゴーグ達が垂れ流した嘘、「ピケット論」は完全に否定しました。ここで終わって良いのですが、折角ですのでその後の高浜発電所と音海地区の変遷を見て行きましょう。
1976年になると、一号炉、二号炉が完成しており、内浦港は木材荷役で大いに賑わっています。
1981年になると、三号炉、四号炉の建設が始まり、ほぼ5年ぶりの電力土木・建設で賑わっています。内浦港も造成が進み、今と同じ姿を現しています。
1985年には、三号炉と四号炉が操業開始し、内浦港も全体の運用に入っています。内浦湾には防潮堤が出来、現在に至るまで、釣りの名所となっています。
1990年になると内浦港の最初の埋め立て地が更地になり、現在の関西電力音海作業所が見えています。1985年から90年の間に内浦港の第一期造成地を関西電力が使い始め、現在は関西電力音海駐車場とし、職員はここからバスでピストン輸送されています。高浜発電所は、敷地が狭隘な為、いろいろと苦労していることが分かります。
この後あまり動きは無くなり、1995年頃から木材荷役が激減するなどしています。
2013年に飛びますと、内浦港では木材、土木資材にくわえて中古自動車、自動車スクラップの取り扱いをしていることが分かります。高浜発電所は、大きな工事も無く、静かなものです。
物故者に罪を着せ、出自差別までする「関電被害論」デマを許すな
これまで四回にかけて徹底して事実と証拠に則って検証し、「関電被害者論」という卑劣なデマゴギーを否定しました。
原子力発電所建設にあたっては、自治体幹部と政治家、地域の名士を利権で抱き込むことにより地方自治体をその支配下または強い影響下に置いてきたことはよく知られています。
日本商用原子力史はそろそろ50年になりますが、すでに初期の人々の多くが物故者となっています。過去から現在に及ぶ企業や自治体の不正行為をごまかす為に死人に口なしで物故者に罪科を押しつけ、出自差別、民族差別まで持ち出して逃げにかかったのが「関西電力被害者論」と言えます。
このような卑劣かつ愚劣な事は絶対に許してはいけません。
◆『コロラド博士の「私はこの分野は専門外なのですが」』~緊急特集・関西電力資金還流問題編4
<取材・文・図版/牧田寛>
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まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題について、そして2020年4月からは新型コロナウィルス・パンデミックについての
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