全員がそれぞれ「haru」を少しずつ担当している感覚
現在はそうした実害のない小競り合いで済んでいるが、以前は生活に支障をきたすことが多かった。
「スマホの連絡先を消してしまったりして、いろんな人に迷惑をかけました。誰がやったのはわかりませんが、犯人捜しは特にしません。『僕』が他の人格を受け入れなかったことへの反発だったのかもしれません」
恋人と別れたことすら、後になって知ったこともある。
「別れたことは、別人格の様子から知りました。ただ、知ったからと言って再び傷つくことはなく、どこか他人事のように見つめている自分がいた。芸能人が別れたというニュースを知った時くらいの気持ちですね」
「僕」含め誰一人、当事者意識はない。「チームharu」として、細切れのシフト制で一人の人生を担当しているという意識だという。
「この病気の人、すべてがそうではないと思いますが……僕らは当事者意識を手放して、根無し草として生きている感じ。そうしていれば、苦しまないから。同じ生きるのであれば笑って生きたいし、今の生き方ならそれができる。ただそれだけのことです」
そして今では、交代人格それぞれにも、やりたいことが出てきたと話す。
「それぞれのことを応援したいと思いますね。そして、他の人格が僕のためを思ってくれてるなら、僕が出る時間だけでも僕らしく生きようと思っています」
去年の春、三つ目の症状である、発達障害の診断が下りた。
性同一性障害、解離性障害の診断から随分と時間がかかったが、性別違和や解離とは別の生きづらさを感じていたharu氏は、「診断されてようやく人並みに生活できる気がしている」と話す。
「他人が普通にできることを、僕はできなかったから。随分と遠回りになりましたが、これで負のサイクルを抜けられると思いました。散らばった自分のピースを見つけた気持ちです。解離とは別に思考や感情がほどばしることがあって、医師によるとそれは解離ではなく、多動によるものだそうです」
現在は、月に一度の薬物療法をメインに行なっている。人格統合のための心理療法は行なっていない。薬物療法をしていき症状を落ち着かせ、今の生活を維持していけるよう、鬱などを軽減させることで解離の症状を減らす方向だ。
「僕は鬱がひどくなると解離が激しくなる(記憶欠如の頻度が高くなる)ので、薬物療法でだいぶ生活が楽になっています。それまでは朝起きると死にたくなっていたけど、『今日も楽しく生きれるかも』という状態に変わった」という。
流れに逆らうのは苦しい。可能な限り、「彼ら」と共存していきたい
ツイッターを通じた交流も楽しんでいる。ツイートしている時の人格は、「僕」であることも、他の誰かであることもある。
「アカウントを通じて、障害としてよりも『僕ら』のことを知ってほしいと思っています。他の『彼ら』が言うには、haru担当マネージャーのような気持ちで日常をツイートしているようです。それを共感してもらえたら、『彼ら』にとっても嬉しいことだと思います」
そんな中、「レンタルなんもしない人」との接触がharu氏を広く知らしめるきっかけになった。レンタルなんもしない人とは、交通費と飲食代等を負担すればアカウント本人の「なんもしない人」が「飲み食いと、ごく簡単な受け答え」をしに出張するという活動を行なう人物だ。
「たまたま、レンタルさんがキャンセル出たとツイートしてたので、フォローはしていなかったんですが、衝動的にDMを送ったんです。人生一回きりだから。送ったのは主人格だったんですが、『僕』以外の人格と話してくれるんじゃないかなと。まったく知らない人だし期待もしてなかったんですが、『1時間だけお会いしましょう』と返事が来て。会った時の記憶はありませんが、楽しくしゃべったようでした。それをレンタルさんがつぶやいてくれたのをきっかけに、フォロワーが増えたんです」
それを機に、haru氏も「メンタルなんにんもいる人」として活動を始めた。
ポリシーは「自分の半径3m以内を変える」こと。さまざまな生きづらさを抱えたフォロワーが、haru氏にコンタクトを取ってくる。
会っている途中で記憶が途切れるため、辻褄合わせに苦労することもあるが、haru氏は、現時点では無理に人格統合をしようとは考えていないという。
「劇的な革命を起こそうとは思いません。少しだけ、景色を変えられればと思います。生きることはただでさえ体力を使うのに、波に逆らうのは大変です。僕を見て、『こんな人もいるんだな』と、自分ももう少し生きていいんだと思ってくれればいい。僕自身は、心に傷を負い、復活していく通常の道のりを他の人格に任せてきた。それは普通じゃないかもしれませんが、それによって『僕』という存在が守られてきた。だから、僕だけでも彼らのことを認めてやってもいいじゃんと思うと、ずいぶんラクになりました。症状や治療過程は人それぞれなので僕が正しいわけではないですが、こういう状態でもとりあえず前を向いてふわっと生きていることを伝えたいですね」
堪え難い生きづらさに順応した結果が、解離だった。「僕」と「彼ら」の旅路の終着点はわからないが、治療を続けながら歩んでいきたいと話す。
<取材・文/安(HBO編集部)>