脳内にはつねに、10人の人格が同居。多重人格者が語る「日常」

多重人格者としての日常を綴るharu氏のアカウントは現在1万5000人のフォロワーがいる

頭の中に「なんにんもいる」

 ツイッターネーム「メンタルなんにんもいる人」、ことharu(@hr_3200)氏。 「なんにんもいる」は文字通り「何人もいる」。解離性同一性障害のharu氏は「国内で気軽に会える多重人格の人」を標榜し、主人格である「僕」の他、10人の人格を内在させている、俗にいう「多重人格」である。  その素顔は、SE、保育士、塾講師を掛け持ちながら社会福祉士を目指し、通信制大学に通う23歳の男性である。解離性同一性障害のほか、性同一性障害(GID)、発達障害(ADHD)の診断も受け、障害者手帳3級を保有している。

プログラマーとして、若者向けの完全匿名性アプリ「cotonoha」も開発しているharu氏。インタビューには、主人格である「僕」が応じた

 米国精神医学会が発行する精神疾患の診断マニュアル「DSM-5」において、解離性同一性障害は以下のように記載されている。 「意識、記憶、同一性、情動、知覚、身体表象、運動制御、行動の正常な統合における破綻およびまたは不連続である」  診断基準は、「二つまたそれ以上の、他とはっきり区別されるパーソナリティ状態によって特徴づけられた同一性の破綻」、「日々の出来事、重要な個人的情報、およびまたは心的外傷的な出来事の想起についての空白のくりかえしであり、それらは通常の物忘れでは説明がつかない」などの大きく5つが挙げられている。  また、発症には心的外傷(トラウマ)も深く関わっているとされる。haru氏の症状は、幼い頃からの「生きづらさ」とつねに隣り合わせにあった。  1996年、haru氏はエンジニアの両親のもとに女性として生まれた。両親は小2の時に離婚し、それ以降祖父母とともに母の実家で暮らすようになった。父親は、小6のときに亡くなった。  3歳くらいの頃から、すでに脳内に「自分ではない人の声」が聞こえていたという。 「20代くらいの男性の声で、『手遊びはやめる時間だよ』、『先生の話を聞く時間だよ』と大人にとっての聞き分けのいい子になるよう手取り足取り教えてくれていました。みんなそれぞれ、そういう『声』が聞こえていると思っていました」  性別違和も同時期に感じていたが、成長すれば心も女性になると信じた。

書いた覚えのない答案。不登校なのに成績が上がり始め……

 haru氏の中にいる「誰か」が姿を現したのは中学に入ってからだった。  小学校まではトップだった成績が、中学に入ってすぐに下がりはじめた。子供に起こりやすいとされる、起立性調節障害を患ったのだ。ストレスが主な原因とされるが、性別違和の悩みのほか、学校生活になじめなかったことも影響していた。「勉強ができる」というアイデンティティが崩れ自分を責めるようになり、ほどなくして不登校に。  中2の頃にはうつ病と診断され、現実から逃れたい一心で処方薬をいっぺんに飲み、病院に運び込まれたこともあった。 「自分は存在してはいけない人間だとつねに思っていました」  それまで記憶がなくなることは何度かあったが、交代人格が顕著に現れはじめたのは、受験を控えた中3の頃。答案を返却されると、覚えのない答えが書いてある。テストを受けている時の記憶もない。こんなことが頻繁に起きた。 「ただ、記憶がなくなるだけで不利益があったわけではありませんでした。むしろ、自分の代わりに誰かがテストを受けてくれたおかげで、成績が上がり始めたのです」  中学卒業後は、親を納得させ、かつズボンも履ける学校を探した結果、高専への進学を決めていた。高専の受験には数学などが必須だが、不登校のharuさんには十分な勉強ができていない。だがharu氏ではない「誰か」が知らぬ間に理系科目の学力を上げ、試験を受け好成績を上げていたのだという。
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「それ、君じゃないよね」……担任は別の「誰か」の存在に気づいていた
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