れいわ新選組、重度障害者の女性を参院選の公認候補に。「当事者の声を国会へ」

施設へ入ることを拒否、地域で自立生活を始める

木村さん

木村氏は重度の障害のため、手足などを動かすことができない

 れいわ新選組が会見場で配布したプロフィールによると、木村氏は1965年横浜市生まれ。生後8か月のときに歩行器ごと玄関から落ち、障害を負った。そして、幼少期のほとんどを施設と養護学校で過ごしながら成長する。 「本来、私は養護学校高等部を卒業したら、施設に入れられてしまう存在でした」(木村氏)  養護学校卒業後、家族による介護が受けられない重度障害者は、施設しか生きる場所がない。そんな状況の中、木村氏は「地域で生活がしたい」と施設への入所を拒否。国立市で自立生活を始める。19歳のときだった。 「同い年の健常者の友達ができたのは、地域に出てきてからです。『一生を施設で生かされ、死ぬまで出られない』とずっと思っていました。なのに今、こうして参院選で立候補して、記者の皆さんの前でお話をしているなんて、とても信じられません」(同)

障害者は施設に入りたいのではなく、そこしか行き場がない

 木村氏は重度障害者が生きにくい社会の現実と向き合い、仲間とともに障害者運動に携わるようになる。地域での自立生活歴と運動歴はともに35年を数える。「地域で生活したい」と望む障害者の自立支援に今日まで邁進してきた。 「私の仲間の障害者たちは今、みんな施設の中にいます。小さい頃からですから、施設に50年いる人もいます。私たち重度障害者は、親が(私たちの)介護ができなくなれば、施設に入れられる。一生がそこで終わってしまうのが、当たり前の道筋なのです。  障害者は施設に入りたくて入っているわけではありません。そこしか生き場がないのです。施設で育った私は社会をまったく知らず、地域で自立生活をすることは雲の上の夢でした。  でも、施設での生活は自由がなく、管理され、時に虐待を受ける。そんな生活に耐えられずに、すでに地域で自立して暮らしている先輩たちに助けられ、19歳で地域生活を始めました。  そのとき、奇跡を感じました。こうしてここにいることも、私にとってはとても大きな奇跡です。その奇跡を作ってくれたのは、今ここにいる山本太郎さんです」(木村氏)
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障害福祉と介護保険の統合で、介護サービスが低下
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