イギリスのイラク戦争検証で「米国の利益を守るための措置」!?
ウィキリークスは2010年11月、米国とイギリスとの外交文書を暴露した。
2009年9月22日付の文書によると、当時イギリスで行われていた、イラク戦争への英国の参戦を調査する独立調査委員会(チルコット委員会)について、英国防省のジョン・デイ安全保障政策担当局長は「米国の利益を守るための措置を講じている」と米国のエレン・タウシャー国務次官に伝えたのだという。
イギリス側の「措置」が何を示すかは文書には書かれていなかったが、チルコット委員会の報告書は、2009年の検証開始からその公開に7年もの年月を要した。
大幅に公開が遅れたのは、イラク戦争開戦時前後の英国ブレア政権と米国ブッシュ政権とのやり取りについての情報開示をめぐり、チルコット委員会とイギリス政府の対立があったとされる。
約6000ページの検証報告書は2016年7月に公開され、「軍事行動は最終手段ではなかった」と、ブレア政権のイラク戦争参戦を厳しく批判した。
米軍の砲撃で死亡した、スペイン人記者の遺族による起訴を妨害!?
ブレア元英首相の喚問(チルコット委員会ウェブサイトより)
またウィキリークスは、当時のエドアルド・アギーレ在スペイン米国大使が、スペイン政府当局や検察に送った2007年5月14日付の外交文書を公開した。
これは、2003年4月にイラク戦争で米軍戦車の砲撃によりスペイン人記者ホセ・コソ氏が死亡した件について、米軍兵士3人を起訴させないよう圧力をかけていたというもの。
コソ氏は当時、各国記者が拠点としていたバグダッドのパレスチナホテルにいたところ、同ホテルをバグダッドに侵攻してきた米軍の戦車が砲撃。コソ氏は死亡した。
コソ氏の遺族は、砲撃を行った米軍兵士らを戦争犯罪者として起訴することを求めたものの、遺族の主張はなかなか認められなかった。
遺族たちの責任追及を求める活動は、現在も続いている。