3か月過ぎても復興進まず。平成30年豪雨被災地、肱川水系の現在

野村ダムから3km下流で一変した風景

1)野村ダム  10月1日、台風一過の晴天の中、肱川の源流がある宇和から、肱川沿いに野村ダム、野村町、鹿野川ダム、大洲市菅田、大洲市街を取材に出発しました。  道路などの破損は多くない野村ダム上流を快適にドライブし、第一の目的地は野村ダムです。野村ダムは、佐田岬半島先端から八幡浜市、宇和島市へ分水する国営南予用水土地改良事業の水源としての利水ダムで、無くてはならないものです。八幡浜市や伊方町での取材では、野村ダムが出来て以来、水で苦しむことがなくなり、特に農業(みかん栽培)への貢献は絶大であるとの意見が全てでした。  野村ダムは利水ダムなのです。多目的ダムとして治水機能も持たされていますが、治水と利水は相反する機能であって、治水は限定的なものとなります。

図1 国営南予用水土地改良事業 計画概要図。国土交通省 より。野村ダムからは、きわめて広範囲に分水がなされている事がわかる。この領域での大型の水源は、野村ダムのみとなっている

2)野村町市街地  野村ダムまでは、大きな災害跡は見られず、所々で道路の修復工事やがけ崩れの復旧工事を行っている程度でした。野村ダムから3km下流の野村町市街地に入ると様相が一変します。10月1日の取材では、野村町市街地の被災状況が県道からはわからない程度に片づけが進んでおり、気がつかずに通過しましたが、10月20日の再取材で一筋道路を変えたときに被災状況が顕となりました。  7月7日当時の状況は、南海放送が夕方ニュース『News Ch.4』で7/9に放送した「野村町のシンボル・乙亥(おとい)会館の被害」に詳しいです。  乙亥会館は、外観こそきれいになっていますが、甚大な被害を受けて移転や建て替えを含めた再建案が検討されています。(参照:水没・損壊の乙亥会館、現地復旧や移転 市側が4案提示 2018年9月13日 愛媛新聞ONLINE)  不幸中の幸いですが、乙亥会館は野村病院の移転跡地で、仮にここが野村病院であったなら、甚大な人的被害が発生していました。  乙亥会館より250m上流まで歩くと、野村保育所と野村農村勤労福祉センター(体育館)、野村町児童館がありますが、全て被災により現在も機能を失っています。この一帯も平屋は全没、二階建てならば屋根の上に避難できたと言ったところです。
野村保育所

被災した野村保育所の内部 2018/10/20撮影

 肱川右岸の野村町三島地区に入ると被災状況は左岸より深刻です。これは、野村町市街地の手前で肱川が左に曲がっている為で、水は右岸へより強く押し寄せます。三嶋神社は社務所が流失し、付近の民家も激しく損壊しており、復旧は進んでいません。三島地区では、お年寄りが逃げ遅れ、水没した屋内で亡くなるなど、人命も失われています。  野村町市街地では、野村ダムのただし書き操作(異常洪水時防災操作:緊急放流)開始後30分を待たずに肱川が氾濫し、逃げる間は殆ど無かったとのことです。緊急放流を告げる防災行政無線も豪雨の為に聞き取れず、消防団員が一世帯ごとに避難を呼びかけてまわりましたが、急激な肱川の増水によって呼びかけは間に合わず、消防団員も水に押し流され死を覚悟する有り様であったとのことです。  野村ダムは、野村町市街地から上流僅か3kmに位置しますので、ただし書き操作をはじめればきわめて短時間で大水が押し寄せますので、ダムによる時間稼ぎ効果が失われるともはや時間稼ぎの術がないと言うのが現状です。
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3m近い高さまで浸水した痕跡
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