3か月過ぎても復興進まず。平成30年豪雨被災地、肱川水系の現在
野村ダムから3km下流で一変した風景
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図1 国営南予用水土地改良事業 計画概要図。国土交通省 より。野村ダムからは、きわめて広範囲に分水がなされている事がわかる。この領域での大型の水源は、野村ダムのみとなっている
- 野村ダム右岸より撮影 前日の台風によりダム湖は水かさが多く濁水となっている。 2018/10/1撮影
- 野村ダム左岸よりダム湖を撮影 前日の台風によりダム湖は水かさが多く濁水となっているが大きな異常はみられない。 2018/10/1撮影
- 写真3 野村ダム右岸より下流を望む。減勢工(ダム放水の運動エネルギーを消費させる安全施設)や副ダムを濁水が流れるが、これは前日の台風の為。この3キロ下流が野村町の中心地区。 2018/10/1撮影
- 野村ダム左岸(管理棟側)より望む。ここは公園となっているが、土砂崩壊のために立ち入り禁止となっている。また、ダム湖周回道路の損傷も多い。 2018/10/1撮影
- 乙亥(おとい)会館全景 2018/10/20撮影
- 乙亥会館正面 2018/10/20撮影。正面からは2階客席が地平面となっている。この地平面は、人の背丈程度水没している
- 被災した野村保育所正門より 乙亥会館の250m程上流にあり、防災避難場所にもなっている。7/7には緑色の三角屋根が辛うじて水面にでる程度にほぼ全没している。 2018/10/20撮影
- 被災した野村保育所通用口より 写真は河岸の護岸頂部より2018/10/20撮影
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被災した野村保育所の内部 2018/10/20撮影
- 被災した野村保育所地平面より護岸(堤防)を撮影、護岸と地平面の間には殆ど標高差がない。ダム直下の人口密集地であっても護岸の高さは河床から6m程度しかなく、堤防は無いと言って良い。 2018/10/20撮影
- 野村保育所付近にある倉庫。壁や窓が無くなり、瓦が剥離していることから、平屋の屋根まで水没していたことがわかる。 2018/10/20撮影
- 野村保育所付近にある立派な民家。日本建築の場合、土壁が流失し、竹の骨組みだけが残る。これによって時間が経過しても水没の程度がわかる。 2018/10/20撮影
- 野村保育所付近にある三島橋、橋げたの道路面は河床から7m程度で、後方の三島地区は二階まで水没している為、少なくとも水は河床から11~12m程度となっていたことがわかる。 2018/10/20撮影
- 野村保育所より上流の肱川左岸より、上流を望む。野村ダムより直線状に流下してきた肱川は、野村町中心部手前で大きく左に曲がっている。この為肱川右岸の三島地区は、特に被害が大きくなった。2018/10/20撮影
- 対岸より野村町三島地区を望む1 2018/10/20撮影。二階まで水没している
- 対岸より野村町三島地区を望む2 2018/10/20撮影。二階まで水没している。3か月半経過しているが、復旧は進んでいない
- 対岸より野村町三島地区を望む3 2018/10/20撮影。日本建築は、浸水によって土壁が流失し、竹のみ、または壁無しになるので浸水規模の指標となる
- 野村町三島地区の被災家屋 2018/10/20撮影。2階軒下まで水没している。このような状態の家屋が、肱川沿いに大洲市までの約40キロの区間で建ち並んでいる
- 野村町三島地区の完成直前に被災して放棄される見込みの“せいよ東給食センター”。 2018/10/20撮影
- 被災した三嶋神社。拝殿は修理され、手水舎は再建されているが、写真右の社務所は完全に流失している。写真奥の護岸頂部と同じ高さであることに注意。 2018/10/20撮影
- 流失した三嶋神社社務所。トイレを残して建物は完全に流失したとのこと。中央奥に対岸の乙亥会館が見える。 2018/10/20撮影
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