「激しい批判をする野党の後ろにも国民はいる」。総裁選出馬を決めた石破茂が語る国会・憲法・沖縄

本土からの米軍基地移転への贖罪感がないと沖縄は始まらない

――もう一つ質問です。今回の総裁選挙の特徴は、奇しくも沖縄県知事選挙と同時並行になったことだと思います。とりわけ、今回の沖縄県知事選の争点は、普天間から辺野古への移転です。一部には、「石破さんこそが、幹事長時代に、沖縄の自民党の態度を辺野古移転に変えさせた張本人だ」という意見が根強くあります。いま、沖縄がああいう状況で、翁長知事もああいうことをされてこられた中で、辺野古移転について石破さんは、いまどのようなご見解を持ってらっしゃいますか? 石破:辺野古移転は、少なくとも今の普天間基地が続くという「ワースト」な状態を若干なりとも改善する、という意味があると思っています。羽田の拡張でも、あるいはセントレアでも、関西空港でも、神戸空港でも、もう「成田空港の轍は踏まない」ということで、危険性を最大限に回避するためには、洋上に出すしかないということでやってきたはずです。  私は防衛庁長官のときに何とかメガフロートでできないか、くい打ち桟橋方式でできないかと主張しましたが、当時の小泉総理は現行案で決定されました。とにかく、今の普天間基地は最悪の状況であるということ。それを少しでも改善をしようと思えば、洋上に出す形しかなく、メガフロートだったらなお良かったのではないかと思います。  騒音にしても、例えばきちっと決められたルートを飛んでくれってのは、日本政府としてもっと言わなきゃダメで、今の普天間でもその辺は改善の余地が相当にあると思っています。普天間だけでなくどこでも。そこはもう一回でもそれを破ったら、日本政府として、飛行差し止めぐらいのことは言わなければならないと思います。米軍機は航空法の例外になっていて、法的権限には限界がありますが、そこは外交交渉として主張すべきです。しかし、事故の危険性や騒音などは、洋上に出すことによってかなり低減されるのも事実です。なおかつ、辺野古のように滑走路と弾薬庫と訓練場が近接しているのは、今みたいに距離があるときよりは効率的ですし、移動時のリスクも少なくなります。だから「今よりも少しはよくなる」ということであって、ベストとかベターとかいう言葉は使えませんが、ワーストではなくなるということで申し上げてきました。その方針を政府として決定しました。当時から沖縄の自民党は反対でしたけれども。 ――6人全員反対でしたね。 石破:しかし党として、彼らを説得するしかない。それは党の責任者たる幹事長がやるしかない。辺野古容認の判断をしたのは、沖縄選出の彼らではありませんということを示す必要がありました。「これは、自民党の幹部が決めたことですよ。沖縄の自民党議員が決めたことではないよ」と示さなきゃいけなかった。ただ、私の配慮が足りなくて写真はまるで私が言い渡しをして彼らが項垂れているような構図になってしまった。 ――そうですね。あの頃の写真はそう見えますね 石破:それはそれで仕方がありませんね。とにかく沖縄の議員には責任を負わせたくなかったということです。私が悪く言われてもそれはしゃあないと、少なくとも沖縄の議員たちが、自分たちが一生懸命反対してきたのだということだけは見せてあげたかった、というのがありました。  ですが、これから先、知事選もありますが、我々自民党として、まずやらなきゃいけないのは、沖縄に本当に申し訳ないという思いが持てるかどうかだと思っています。  私も、幼稚園や小学校の頃でしたから記憶があまり定かではないのですが、昭和30年代は反安保、反米の雰囲気もものすごくあって、私の田舎でも宣教師の娘さんがいたんです、エルガーちゃんっていう子でした。そんな5歳6歳の子どもたちでも、何もわからないのに、沖縄返せとか、安保反対とか言っていたなという記憶がすごく鮮明にあります。昭和30年代にそういう反基地・反米闘争が、ものすごく本土で盛んになった、だから日本の主権の及ばないアメリカの施政下の沖縄に移しちゃえっていうのがあって、岐阜とか群馬とかにあった海兵隊の司令部も沖縄に移すと。日本のあちこちにあった基地を、米国の施政下の沖縄だったら文句は言われないだろうということで移駐したんです。それはつまり、沖縄の犠牲によって本土の基地が減ったということです。これは知らない人が多い事実だと思います。米軍基地があれほど集中しているのは、米国の施政下にあった沖縄に移した結果なのですから、それを沖縄がワガママ言っているとか勝手言っているとか、それは完全な事実誤認であって、沖縄のおかげで本土の米軍基地が減ったのだ、ということがまず原点であるべきだと思っています。沖縄であの戦いがあり、広島と長崎に原爆が落ちて、戦争は終わるわけですが、この、唯一地上戦が行われた沖縄の犠牲、そして、米軍基地の本土からの移転に対する真摯な気持ちがベースにないと、お話はまったく進まないだろうと思っています。
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「辺野古以外」の選択肢はありや?
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日本会議の研究

「右傾化」の淵源はどこなのか?「日本会議」とは何なのか?