引退後は大阪に戻り、祖母が運営するスポーツ店、知り合いの企業で派遣社員など職を転々とした。
高校時代から野球漬けの日々。アルバイトをしようにも、「履歴書の書き方すらわからなかった」と国木が話すように、荒波に飲み込まれそうになりながらも少しずつ社会に適応していく。現役時代にはネックとなった“優しすぎる”性格も、一般社会では評価の対象となった。
「これまで働いてきた企業では、『社員にならないか』と何社から声をかけていただきました。野球から少し離れた時期もありましたが、野球から完全に離れることができなかった。夜と、土・日は野球に当てたいという考えは、どうしても譲れなかった。だから、頂戴した有り難い声は全てお断りさせていただきました」