横浜駅の定番「シウマイ弁当」の崎陽軒には、社員全員が習得している特殊スキルがあった!

写真/Hajime NAKANO

ローカルなのに圧倒的実力、崎陽軒のシウマイとシウマイ弁当

 崎陽軒は横浜名物「シウマイ」やそれをメインに据えた「シウマイ弁当」の製造販売でお馴染みの企業です。中華料理店やイタリア料理店等も経営していますが、なんと言っても、崎陽軒と言えばシウマイとシウマイ弁当ですよね。  横浜本社地下工場、横浜都筑工場、東京江東工場の3カ所の工場で1日12時間で作られるシウマイの数は約80万個、毎日15入りを1箱食べても明治維新くらいかかってしまう数字です。また、シウマイ弁当の1日平均販売数は今や2万近くあり、純粋な駅弁利用以外を差し引いても、日本で最も売れてる駅弁ということになります。 第118期決算公告:5月26日官報74頁より 当期純利益:3億9700万円 利益剰余金:122億6600万円 過去の決算情報:詳しくはこちら http://nokizal.com/company/show/id/1448114#flst  ただ、これだけ売れているシウマイと崎陽軒ですが、全国で売れる商品かというとそうではなく、西日本では食べたことの無い人や知らない人も多いです。これは駅弁の賞味期限が8時間ほどであるためで、シウマイ弁当が車内で買えないのもこのためです。今回はそんな今や横浜のソウルフードとも言える、シウマイとシウマイ弁当を中心に、崎陽軒の歴史を眺めてみたいと思います。

横浜駅内で飲み物や軽食を扱う売店からスタート

 崎陽軒の創業は1908年、横浜(現桜木町)駅の4代目駅長だった久保久行が退職後、横浜構内の営業許可を得て、売店で牛乳やサイダー等の飲み物と餅や寿司を販売したのが始まりです。なお、崎陽軒の「崎陽」は久保の出身地である長崎の漢文風の美称に由来します。  1915年に現在の場所に横浜駅が移転すると、後に法人化後の初代社長となり「シウマイ王」と称されることになる、野並茂吉が支配人に就任。1915年には駅弁の製造を開始するなど、少しずつ事業規模を拡大していましたが、1923年に関東大震災が発生します。  震源に近かった横浜は町中が瓦礫の山となり、崎陽軒の社屋も全壊しましたが、茂吉は社員と力を合わせ、10日後には営業を再開、横浜駅のホームでカレーライス等を売り、復興に向け市民を元気付けました。しかし、崎陽軒は社屋の再建等で多額の借金を抱え、経営的にはピンチに陥ります。
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東海道の強力ライバル達に対抗できる横浜名物を作れ
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