横浜駅の定番「シウマイ弁当」の崎陽軒には、社員全員が習得している特殊スキルがあった!

東海道の強力ライバル達に対抗できる横浜名物を作れ

 しかも、当時の横浜は今と違って人口50万人にも満たない、東京の手前の地方都市の一つに過ぎず、例えば駅弁を売っても下りの客は東京駅で購入しており、上りの客ももうすぐ東京に着くので、購買意欲が薄い状態でした。  茂吉はこの状況を打開するために、小田原の蒲鉾、沼津の羽二重餅、静岡の山葵漬け、浜松の鰻といった東海道の名物に匹敵するような名物を横浜に作ることが必須だと考えます。  そこで注目したのが、まだ華僑の利用が中心で一般にはさほど知られていなかった横浜中華街で、突き出しとして提供されていた「焼売」でした。焼売は美味しい上に汁も出ないので、折り詰めにも適しておりチャンスはありましたが、駅の売店で売るには大きな問題があります。それは冷めると味が格段に落ちるということでした。

蒸したてが美味しい焼売を冷めても美味しくするという難問

 蒸したての美味しさこそが売りである点心の焼売を、冷めても美味しいものにする。その難しい課題を解決するため、招聘されたのが中華街の点心職人、呉遇孫です。呉は1年をかけて試作と試食を繰り返し、冷めると臭みの出る豚肉に、一晩水にかけて戻したホタテ貝柱とそのエキスを練りこむことで、見事にその課題をクリアします。  ようやく漕ぎ着けた会心の一作でしたが、栃木出身で訛りのある茂吉が「シューマイ」と上手く発音できず「シーマイ」と発音していたのが、却って本場の発音「シャオマイ」に近いということで、最終的に焼売は「シウマイ」と名付けられました。ただ、これには「うまい」という言葉を含んでいたからという説もあります。  ちなみに、呉は自分の仕事について周囲に教えたがらない職人気質であったため、 呉が退職したり引き抜きにあった場合に同じ味が作れなくなるリスクがあり、あらかじめ元の調味料などの重さを計っておいて、使い終わった後にもう一度計量してどのくらいの調味料を使用したのか会社側でも調べていた、という生き馬の目を抜く当時のベンチャーらしいエピソードも残されています。
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もう一つの看板商品「シウマイ弁当」が登場
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