横浜駅の定番「シウマイ弁当」の崎陽軒には、社員全員が習得している特殊スキルがあった!

元祖キャンペーンガールか、会いに行けるアイドルか?シウマイ娘

 1950年に登場したシウマイ娘とは、赤いチャイナドレス風の衣装と、ミスコンテスト受賞者と同じタスキを身につけた女性が、手籠にシウマイを入れて「シウマイはいかがですか~」と車窓から売り歩いたもので、登場するなり評判を呼び、横浜駅の名物となりました。  年齡制限に加えて、容姿端麗、高身長(女性平均148cmの時代に158cm以上)であることもシウマイ娘の条件だったので、実際売り子でありながら、ちょっとしたご当地アイドルだったわけですが、1952年には当時の流行作家、獅子文六が毎日新聞に連載した港ヨコハマを舞台にした小説「やっさもっさ」に、プロ野球選手・赤松太郎とシウマイ娘・花咲千代子が列車の窓を通じて恋を語る設定が持ち込まれると人気は更に加速、1953年には佐田啓二(中井貴一のお父さん)と桂木洋子(音楽家黛敏郎の奥さん)で松竹大船から映画化もされ、崎陽軒のシウマイは全国にその名を轟かせることになります。  余談ですが「一度でいいから見てみたい、女房がヘソクリ隠すとこ、歌丸です。」でお馴染みの桂歌丸師匠の奥さん、冨士子さんはシウマイ娘だったそうなので、この『女房』はかつてシウマイ娘だったということになりますね(笑)また収録の際に弁当に使われることも多いので、芸能界にもファンの多いシウマイ弁当ですが、クレイジーケンバンドが「シウマイ娘」という曲を出していたりします。

時代を代表する絵師達が描いた、様々な「ひょうちゃん」が存在

 さて、かつてのシウマイ娘と並ぶ崎陽軒のシンボル「ひょうちゃん」についても触れておきましょう。ひょうちゃんが登場したのは1955年、元々シウマイの折に入っていた陶磁器製のひょうたん型の醤油入れに、フクちゃんで知られる漫画家、横山隆一が崎陽軒の社員に会った際に「目鼻をつけてあげよう」ということで表情を描いて「ひょうちゃん」という名前を付けたのが始まりです。いろは48文字にちなんで48種類作られたひょうちゃんは『ひょうちゃん全国漫遊記』という小さなしおりとともに封入され、人気を集めました。  その後、1988年には創業80周年を記念して、ミスタードーナッツやカルビーポテトチップスでお馴染みのイラストレーター原田治を起用、80種類のひょうちゃんが描かれました。100周年の記念の際にも、サントリーのアンクルトリスが有名な柳原良平が起用されています。ちなみに、原田治が描いたひょうちゃんの中には、酒を飲んでいたり、ネクタイをしていたり、かつて広告に登場した際には妻子が登場したりしているので、ひょうちゃんもそこそこ年は取っているようです。
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シウマイ弁当の掛け紙に見る、横浜の歴史と進化
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