四国鉄道文化館南館で展示されているC57-44 2018/11/02撮影 牧田寛
さて、南館車両展示室内をぐるりと回ると、昭和36年の西条駅を模したような駅名標と時刻表を再現したプラットホームがあります。このホームには、国鉄C57蒸気機関車44号機(C57-44)が静態保存されています。
四国鉄道文化館南館車両展示室南側2018/11/02撮影 牧田寛
C57は、日本全国で優等列車(特急や急行)の牽引に使われた旅客用中型蒸気機関車で、今日でも動態保存(どうたいほぞん)車が国内に2台、C57-1とC57-180が現存します。よく知られているのはSLやまぐちゆうゆう号で活躍中のC57-1です。また台湾にも同型機のCT-273修復の上で動態保存されています。
このC57は、信頼性が高く、線路規格の低い地方幹線にも乗り入れができたため、日本全国で旅客用に大活躍したのです。そのうちの1台、44号機が1976年3月に廃車後、長年西条市民公園で屋根付き静態保存されていました。その後、四国鉄道文化館南館建設に伴い2014年に四国鉄道文化館南館へ移転し、綺麗に整備されて屋内展示されています。
四国鉄道文化館南館で展示中のC57-44 2019/11/23撮影 牧田寛
40年近く屋外展示であったが、屋根付きだったためと、松山在住の方が大切に手入れしていたために状態の悪化が抑えられ荒廃に至らなかった。移設に際して徹底して修理され、たいへんに状態がよい。
四国なのになぜかスノープラウ(雪かき)がついているが理由は本文
たいへんに状態のよい静態保存機ですが、前面をみるとなぜかスノープラウ(雪かき)がついています。四国なのになぜでしょう。
実は国鉄四国総局管内は、
日本で唯一C57が配備されなかった地域です。そうです、C57は、四国にはいなかったのです。当然、
C57-44は、四国に縁もゆかりもありません。輸送量が小さく線路が貧弱な四国には、もう少し小さいC58とかなり小さい8620型(ハチロク)が配備されていました。
C57-44は、1938年3月に三菱重工神戸造船所で落成した後、高崎→尾久→仙台→小樽築港→室蘭→岩見沢と移り、1976年3月に廃車となりました。総走行距離は、3,368,561.7kmでした。このように本機は、北関東、東北、北海道を走行しており、四国に乗り入れたのは廃車後です。
C57-44は1976年5月に永久貸与という形で国鉄から西条市に譲られ、現在に至っています。C57-44には、春雷(しゅんらい)号という名前が付けられていますが、これは西条市名誉市民で第四代国鉄総裁である十河信二氏の雅号にあやかったもので、これも西条市で名付けられたようです。
実は、四国は大きな炭鉱が島内にないことから石炭供給に不利な為、最優先で無煙化(蒸気機関車の廃止)が進んでおり、全国で蒸気機関車の営業運転が終わった1975年12月に5年9ヶ月先行して、1970年3月に蒸気機関車が全廃されました。そのため、全国でさようなら蒸気機関車ブームが盛り上がったときには既に譲り受けられる蒸気機関車が四国内に無かったのです。
57-44非公式側とキハ65-34公式側2018/11/02撮影 牧田寛
高知市には、比島公園(比島交通安全子供センター)に高知配属のC58-335が県内唯一で静態保存されています。これは四国で活躍した蒸気機関車ですが、屋寝付きであるものの残念ながら整備不良と破壊によって荒廃していました。現存するものの、現在の状態は不明です。このような産業遺産は、保存設備と整備によって状態が大きく左右され、管理者の関心が薄いと荒廃し、最終的にはなくなってしまうことすらあります。再考が求められるでしょう。
実は筆者の故郷である延岡市でも大瀬街区公園で静態保存中だったD51-485の荒廃が進み、市の無理解からアスベスト撤去を理由に破壊されるところでしたが市民有志の努力で保存継続、整備がなされています*。この蒸気機関車は、南延岡駅から移送された翌日から筆者の遊び場でした。
〈*
デゴイチ囲み交流-延岡 2015/04/03 夕刊デイリー〉
C57-44動輪2018/11/02撮影 牧田寛
たいへんによく整備されており且つ、主要部位には名前ラベルがついており、たいへんにわかりやすい
C57-44非公式側2018/11/02撮影 牧田寛
西条市民公園から移設直前は、荒廃に至らないものの痛みは目立ちはじめていたとのことだが、現在の状態は極上と言える。屋内展示であるのでこの状態は維持されるだろう。
C57-44のレールとフリーゲージトレインのレールはつながっており且つ、本線とは切り離されている。従ってフリーゲージトレインは狭軌で展示してあることが分かる
四国鉄道文化館南館に移設される前、C57-44の保存状態は、並の上といったところらしいのですが移設後の現状は、極上と言えます。痛みは目立たず、塗装はピッカピカ、油も差されており下手に触ると油で汚れます。また各部部品に名前ラベルが貼付してあるためにとてもわかりやすいです。現在静態保存車でこれだけ状態がよいものは珍しいと思います。
とくに驚かされるのはキャブ(運転台)内部が公開されていることで中に入れるだけでなく目障りな檻もありません。
保存蒸気機関車はキャブ内の部品が盗まれる、外部の部品が盗まれる、そして次々に破壊されるという悪循環で部品が揃っているものが少なく、キャブは閉鎖、それどころか保存にある程度の熱意のある管理者は機関車全体を檻に閉じ込めてしまうなど極端な対策をとります。余り熱意のない管理者の場合は、加速度的に荒廃してゆき最後には解体されてしまいます。
そういった死屍累々たる保存蒸気をいくつも見てきた筆者にはC57-44は極上品に見えます。今後もこの状態が維持されて欲しいものです。
キャブ内部は見事なもので、蒸気機関車のキャブが如何に過酷な労働環境であるか、事故防止という観点からは今では考えられない劣悪な視界であるかということがよく分かります。かつて蒸気機関車が衝突事故、冒進事故(信号を無視して進んでしまうこと)を多発させ、遂には三河島事故*という大惨事を起こした理由が実感できます。この事故により十河信二氏は、第四代国鉄総裁からの退任を余儀なくされました**。
〈*
三河島列車事故 1962年 NHK放送史〉
〈**より正確には、三河島事故では原因解明のために辞任を免れたが翌年、新幹線事業費の見積もりからの大幅超過を理由に再任されなかった〉
C57-44キャブ(運転台)内部2018/11/02撮影 牧田寛
殆どの静態保存機は、キャブに入ることができず、入れても檻で内部が保護されている、内部が荒廃して多くの部品がなくなっているなどしているが、本機はキャブ内に入れる上にたいへんに状態がよい。
移設に際しての修復が徹底していたと思われる
C57-44運転士席からの前方見晴らし2018/11/02撮影 牧田寛
蒸気機関車は、世界共通で機関の後方にあるため前方の見晴らしはきわめて悪い。そのため運転士は、側面の窓から顔を出していることが多かった。助士席は反対の非公式側(進行方向右側)だが、運行中は石炭をくべているのでまず着席していない。
この見晴らしの悪さが三河島事故の主たる原因の一つであり、この責任で十河信二氏は、新幹線の完成を見る前に退任となった
車両展示室の中には、けっこう古いレールスター(軌道自転車)が2台おいてあります。このうち一台は、エンジン搭載の自走式ですが、もう一台はそのものズバリ足こぎペダル式です。最近では余り見かけません。
このレールスターは、年に何回か乗車会があるそうです。今回はあいにく展示だけでした。
この足こぎ式の軌道自転車には是非とも乗ってみたいものです。
旧式の軌道自転車(レールスター)2018/11/02撮影 牧田寛
右のものは原動機付きだが、左のものは並列足こぎペダル式である。これは是非乗ってみたい。山岳線区ではチョー怖いだろう