地下鉄サリン事件の現場の一つとなった東京メトロ霞ケ関駅で報道陣の取材に応じる被害者遺族の高橋シズヱ氏(3月20日・若田部修撮影)
オウム真理教が起こした
地下鉄サリン事件から25年を迎えた3月20日。数日前からメディアがオウム事件や現在の問題について様々な報道を行なった。19日には、地下鉄サリン事件被害者で後遺症により寝たきりの生活を余儀なくされていた浅川幸子さんが亡くなったことも報じられた。
毎年、この時期になると、メディアの報道に「
風化」という言葉が散見される。警察や公安調査庁による「風化防止キャンペーン」の報道もあれば、サリン事件被害者など当事者による発信活動を紹介する報道や当事者へのインタビューもある。
今年は、産経新聞が17日に
「【地下鉄サリン25年】被害者遺族 「時間が経過したという意味での風化は小さなこと」」と題する記事を掲載した。地下鉄職員だった夫を地下鉄サリン事件で亡くした高橋シズヱ氏のインタビュー記事だ。
インタビューの末尾にこんな言葉があった。
〈
時間が経過したという意味での風化は小さなこと。発生から長い時が経ったということを「風化」という言葉でくくるのは失礼なことだと思う。〉(記事より)
これを見て、ふと思った。「風化」をめぐるメディアの報道は、これでいいのだろうか。「風化」に抗う人々の活動を紹介したり、公安調査庁の発表を垂れ流したり、被害者遺族に「風化」について語らせたり。そんなもので、メディアは「風化」に抗ったことになるのか?
新聞記事等のデータベースで、「オウム真理教」「風化」という2つのワードを含む報道を検索し、年別に整理してみた。
新聞やテレビで「風化」という言葉が増えるのは、地下鉄サリン事件から10年、15年、20年といった節目の年や、逃亡していた容疑者の逮捕、刑事裁判の終結といった大きな動きがあったタイミングだけ。たとえば地下鉄サリン事件から20年にあたる
2015年は最多で72件あったが、翌
2016年には9件しかない。
検索の対象としたのは、通信社、テレビ、全国紙4紙、北海道新聞などの全国ニュース網(JWN)8紙。年別に1月1日から3月20日(地下鉄サリン事件の日)の期間を検索した。結果は以下の通りだ。2020年だけは、記事を検索した3月20日当日の報道がデータベースに反映されきっていないため、現時点では実際より少ない数値と思われる。
検索してみるまで私は、多少の増減はあっても年を追うごとに増えているのではないかと予測していた。しかし実際には、「風化」という言葉は節目の年や大きな動きがあった際に思い出したかのように登場する、まるで枕詞のようだ。それ以外の年は、
「風化」という言葉自体が風化している。
事件から20年にあたる2015年は、警視庁が内部記録用に撮影した地下鉄サリン事件関連の写真の展示会を開催。警視庁関係者がメディアの取材に対して「
決して風化させてならない事件」とコメントした。必ずしもメディアが無理やり「風化」という言葉を使っているわけではない。節目の年には実際に「風化」という言葉が登場する出来事があったり、その言葉を使う人々がいたりする。
これをもう一歩進めて、「オウム真理教」という言葉だけで検索した場合のグラフと重ねてみた(数値は右端の縦軸)。また、「オウム真理教」のうち「風化」が登場する割合(「風化」報道率)も算出し、5.0%を超える年を赤字にした。
2012年は、当時逃亡していた信者の
平田信受刑者の逮捕、
2014年にはその裁判開始が、1月1日から3月20日の間にあった。それが地下鉄サリン事件の日に合わせた報道に加わっているため、「オウム真理教」報道の数が跳ね上がっている。
興味深いのは
「風化」報道率だ。「オウム真理教」の報道が少ない年にも割合が高かったケースがあるが、それ以外で
5.0%を超えるのは全て地下鉄サリンから10年、15年、20年、25年の節目の年だ。
「風化」という言葉が節目の時期の決り文句になっている傾向が見て取れる。
また2015年以降は、「オウム真理教」報道の推移と「風化」報道の推移がきれいに一致している。ここ数年特に、
地下鉄サリン事件が近づくと「オウムと言えば風化」が決り文句のようになっている。
前述のように、メディアが無理やり「風化」と書いているとは限らない。もちろん、メディア側が「風化」について語らせたくて水を向ける場面もないではないかもしれないが。