『表現の自由』が『公益及び公の秩序』によって縛られる?
誰もが自由に政治的意見を述べることができなければ、民主主義は成り立たない。そのため表現の自由は民主主義の根幹と呼ばれ、経済的自由権(職業選択の自由や財産権など)より優越的地位を占める。そして表現の自由を制約する際は、厳格な基準によって審査されなければならない。できる限り、表現の自由を制約してはいけないというのが日本国憲法そして民主主義社会の考え方だ。
民主主義の根幹と言われる「表現の自由」に制約をかけたのが、自民党改憲草案第21条2項だ。「公益や公の秩序を害することを目的とした『活動』と『結社』は認めない」としている。その理由を自民党は、日本国憲法改正草案Q&Aで下記のように記している。
【日本国憲法改正草案Q&A Q18 表現の自由を保障した21条に第2項を追加していますが、この条文は表現の自由を大きく制約するのではないですか?】
「『活動』とは、公益や公の秩序を害する直接的な行動を意味し、これが禁じられることは、極めて当然のことと考えます。また、そういう活動を行うことを目的として結社することを禁ずるのも、 同様に当然のことと考えます。この規定をもって、公益や公の秩序を害する直接的な行動及びそれを目的とした結社以外の表現の自由が制限されるわけではありません」
「公益と公の秩序を害する活動以外の表現の自由は制限されない」と書かれているが、問題はその「公益と公の秩序」という言葉の曖昧さだ。そして、害する活動か否かを判断するのが権力者ということだ。
そのため、「公益と公の秩序」を権力者が恣意的に使用し、自分たちの気にくわない表現を規制することも可能になる。権力者が自らの都合に合わせ、表現の自由をコントロールできる社会。それは表現の自由の死だけでなく民主主義の死でもある。
もしもあなたが民主主義を愛し、民主主義の下で暮らしたいのであれば、表現の自由を守るために、権力者へ一切の妥協もすべきではない。
私は護憲派ではない。日本国憲法下における諸問題を解決し社会を前進させるための改憲には賛成だ。しかし、自民党改憲草案第21条2項は社会を前進させるものではなく、社会を後退させるものだ。だから私は自民党改憲草案第21条2項に反対だ。