大ベストセラー『ファクトフルネス』に抱いた、拭いきれない違和感と困惑

一田和樹

原因や対策に関する「FACT」の曖昧さ

・原因や対策については根拠となるファクトがない。根拠となるファクトが明示されているのは誤解や偏見に関してだけ。  本書には多くの人が抱いている誤解や偏見について統計との乖離や作者自身の体験を紹介している。これらはファクトに基づいている(書かれていることがウソでないなら)。  しかし原因と対策については根拠となるファクトが示されていない。多くの場合、著者の体験を紹介し、それを一般化して人間の「○○本能」と名付けている。ネット上にある詳細な脚注にも、はっきりと仮説にすぎないと自ら書いている。(参照:Detailed Notes、翻訳者上杉周作氏による『ファクトフルネス』ウェブ脚注)  仮にさまざまな認知科学の本を参考にしたとしても、あくまで仮説=著者の個人的意見にすぎない。これは本書で禁じている過度なパターン化に当たる。統計的な検証なしにある事実とその原因(ここでは○○本能)を結びつけることはできない。  細かく言うと、「第2章ネガティブ本能」「偏った報道」に犯罪率が減ったにも関わらずメディアがショッキングな事件を大々的に取り上げるせいで犯罪が増えていると答える人が大半だったと書いてある。しかし、犯罪が増えていると感じる理由は他にも考えられる。想定しうる要因を網羅的に比較検証しなければメディアのせいとは言えない。短絡的に原因を特定する文章が散見される。これは本書で指摘している「犯人捜し本能」に他ならない。なお、「大半」という曖昧な表現も本書では要注意としている。  著者が紹介している誤解や偏見を生む10の「本能」が原因として妥当であるかどうかの検証はどこにも書かれていないのだ。出典に認知心理学の書籍がいくつか上げられているが、具体的な内容には触れられていない。この本は「ファクト」についての本なのだから、ファクトとなる統計調査の結果や心理実験の結果などがあるべきなのだが、それはない。根拠がなければ単なる仮説に過ぎない。そして仮説にしかすぎない原因が正しいとした上で、対策が提案されている。  前提となる原因が仮説でしかないため、その対策も仮説でしかない上、対策についても有効性を証明する根拠がない。さらっと読むともっともなことが書いてあるが、実際にそれが有効と言うためには実際にその対策を検証しなければならない。しかし本書にはこれらの対策を講じた結果の記載はない。作者の教えを受けた人々が数年後、類似テストでよりよりスコアを取れるかどうかを確認するだけでよいはずだが、そのテストを行った記録もなければ結果もない。

「○○本能」が原因は「ファクト」なのか?

 本書では原因を「○○本能」のせいにしているが、考え得る他の原因の例をあげてみよう(無数にあるがとりあえずひとつ)。  グローバル化とネットワーク化が、人間に社会に存在する危険を過剰に認識させる例である。  本書では指標としてパーセントがよく使われる。本書では平均値に頼ることが危険だと警告している。同様にパーセントもまた使い方を誤ると危険だ。  人口が1万人の国と人口が1億人の国ではあらゆることが異なってくる。たとえば1万人の国では10万人にひとりしか発生しない事件あるいは事故は10年に1回しか起きない。しかし1億人の国では年に千回起きる。1日当たり2.7回だ。こうなるとその事件あるいは事故は社会の仕組みに取り込まれる。注意を促す告知が流れ、担当の役人ができ、保険の対象になる。危険は可視化され、多くの人が自分の身に降りかかる可能性を考えるようになる。パーセントは同じなのに1億人の国では危険は社会システムの一部になるのだ。世界はネットでつながり、他の国で起きていることも可視化され、危険が共有される。体感事実での社会は危険になってゆく。  また同じ確率でもほとんどの「よいこと」は可視化されない。なぜなら危険ではないためそこから人々を護るための商品や制度が必要ないからだ。  つまり現代社会において確率的に起こる可能性の低いことを恐れるのは当然だ。体感事実ではその確率は低くないのである。社会はそのようにできている。  保険会社は加入者に対して絶対勝てる賭けをしている。彼らは加入者が羅患する確率、死亡する確率、事故を起こす確率などを詳細に調べ、計算し、必ず儲かるように保険料を設定する。そこには保険会社の豪華なビルや高給取りの従業員の給料も含まれるから、賭けの不公平さはかなりなもののはずだ。しかし、それでも保険に加入する人はいる。万が一に備えてだ。起こる確率が低いからといって、自分に起こらないわけではない。だから負ける確率が高いとわかっていても加入する。  加入者を増やすために保険会社は広告を打ち、さまざまなイベントのスポンサーになる。そして集めた金は投資に回る。誇張された体感事実から生まれた恐怖は金融資本主義社会における重要なパーツといっていい。  この例に関して言えば作者はおそらく意図的に下記のふたつに触れていない。作者の知識と経験ならそこに気づかないはずはないと思う。 ・体感事実から生まれる恐怖は社会の重要な要素として組み込まれ、産業を成立させる基盤のひとつになっている。 ・体感事実は単純なパーセントでははかれない。可視化される世界が広がるほど、体感事実と統計事実の乖離は大きくなる。  社会全体が必要としておりグローバル化、ネットワーク化の必然である以上、体感事実と統計事実の乖離を適正な状態にとどめることは難しい。この仮説は調査によって検証できる。  本書の趣旨から言えば、これら無数の可能性を調査によって検証し、残ったものを採用すべきだと思うのだが、そうした記述はない。
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裏付けとなる根拠の確認を妨げる出典明記のあやふやさ
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いちだかずき●IT企業経営者を経て、綿密な調査とITの知識をベースに、現実に起こりうるサイバー空間での情報戦を描く小説やノンフィクションの執筆活動を行う作家に。
 近著『フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器 日本でも見られるネット世論操作はすでに「産業化」している――』(角川新書)では、いまや「ハイブリッド戦」という新しい戦争の主武器にもなり得るフェイクニュースの実態を綿密な調査を元に明らかにしている
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