大ベストセラー『ファクトフルネス』に抱いた、拭いきれない違和感と困惑

一田和樹
ファクトフルネス

書店では軒並み平積み。日本でも25万部突破

 最初に申し上げておきたいのは、この本がある種の気づきに満ちており、多くの人にとってはとても参考になるということだ。だが、同時にいくつかの深刻な問題を抱えていることも確かなので本稿を書くことにした。  私自身、この本および著者には敬意を抱いており、だからこそこの本と著者の目指す方向にそぐわない箇所を指摘すべきなのだと感じた。

「FACT」を前面に出すベストセラーを読んで抱いた「困惑」

 だが、その一方で私は本書が壮大なネタ本である可能性も感じている。むしろそうであってほしいとすら思っている。  著者はよくチンパンジーを引き合いに出す。誤解や偏見で知識人がよく違える質問を取り上げ、正答率がチンパンジーよりも劣るのはなぜ?と問いかける。質問は3つの選択肢からひとつを選ぶ形式なので、ランダムに答えれば正答率は33.3%になる。バナナ1本ずつにA、B、Cのいずれかの文字を同数書き、問題を読み上げて、チンパンジーがどのバナナを選んだかという実験を行えば正答率は33.3%だろうから(著者は実際には実験をしていない)、正答率は33.3%を下回った者はチンパンジー未満というわけである。  実は本書の出典のひとつである『The Storytelling Animal: How Stories Make Us Human』の冒頭で、これに類する実験の結果が紹介されている。サル(マカカ猿)にキーボードを打たせ続ける実験を行った結果、特定の文字の好み(Sをよく打つ)があったことが確認された。文字の好みがあるならば、さきほどの3択問題でも回答が偏る可能性がある。充分な母数のチンパンジーを集めれば33.3%になるかもしれないが、文字の好みについて種固有の傾向(サルという種はAという文字が好きとか)があったら母数を大きくしても正答率は33.3%にはならない。  本書の出典のひとつに書いてあるこの実験を著者が読んでいないはずはないので私は「これは読者になにかを気づかせるためのヒントではないか?」とふと思った。  著者が随所でチンパンジーよりも正答率が低かった人のことを「知らない(原文ではknow)」を使っていたのも気になった。チンパンジーは「知っている」から正答できるわけではない。このこともネタだと思うと、あえて「知らない」という過剰な表現を使った理由もわかる。 「この本自体が壮大なネタで、この本を信じてはいけないという反面教師なのではないか? 本をちゃんと読み、必要に応じて出典まで確認したものだけが本書の本当の意図を知ることができる」  もしこの考えが当たっているとすれば、本書にまつわる違和感や問題点は解消される。

13の質問は本当にそこまで間違うものか?

 では順番に本書の抱えている問題(もしくはネタ)を紹介したいと思う。最初に私が違和感を覚えたのはイントロダクションの13の質問である。一見、この質問は世界全体についての質問のように思えし、著者はその前提で話を進めている。しかし、この質問を見た時、私はこう考えた。 ・イントロダクションの質問は中国、インド、ブラジルなどの傾向がわかれば正解できるものがほとんど  質問のほとんどは世界全体での人数を元にした数値についてのものだ。ヨーロッパとアメリカと日本といくつかの先進国を合計すれば最低でも世界の10%もしかしたら20%近くの人口に達するかもしれない。人口の多いのは中国、インド、ブラジルあたりのはずで、さらにいくつか自分の知っている人口の多い国(私の場合、インドネシアやパキスタンや日本)世界全体の40%くらいは占めるだろう。このふたつを合計すればおおまかな傾向を把握できる割合になる。そして欧米および先進国の数値はだいたいよいに決まっている。  ということは中国、インド、ブラジルプラスアルファの傾向をちょっとよくした(先進国はそれらよりよいはずなので)あたりが正解だろう。つまりこの質問は中国、インド、ブラジルなどに関してのもので世界全体についてではない。なお、このへんは本を読みながらつらつら考えたことなので実際の統計と合っているかどうかは確認していない。  なお、本書では複数の項目があったら大きな項目に注目すべし、と書いているので私がとったアプローチは本書の意図に沿うものと言える。  そして12問に正解した。間違えたのは質問6。「中国で高齢化が進むって記事を読んだような気がする」と思って回答して間違った。いちいちじっくり考えて回答などしていないのである。それでも間違えたのはこれだけだ。  10問はこのアプローチで回答できる。もちろんこの方式では応えられない質問もあったが、それらは常識の範囲(地球温暖化についての質問)あるいは出題者の意図を推し量ることで答えられた。  つまり、イントロダクションの質問の正解を得る方法は複数あり、私の方法だと世界全体の状況を知らないでも正解できる。同じ理由で間違ったからといって世界についての誤解や偏見のせいとは言えない。  質問の次に現れたのはいかに多くの知識人がこの質問を間違えるかという解説だった。この本でなにが驚いたって、ここが一番驚いた。こんなに間違えるのか? だって中国とインドがどうなってるかくらい、ちょっとニュース見てればわかるでしょ? ダボス会議での結果がチンパンジー以下? 世界トップの知識人が中国とインドとブラジルのことを知らない? ほんとに驚いた。  さらに頁を繰る毎に問題が発見された。本稿では大きく気になった箇所を紹介したい。
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原因や対策に関する「FACT」の曖昧さ
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いちだかずき●IT企業経営者を経て、綿密な調査とITの知識をベースに、現実に起こりうるサイバー空間での情報戦を描く小説やノンフィクションの執筆活動を行う作家に。
 近著『フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器 日本でも見られるネット世論操作はすでに「産業化」している――』(角川新書)では、いまや「ハイブリッド戦」という新しい戦争の主武器にもなり得るフェイクニュースの実態を綿密な調査を元に明らかにしている
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