八幡浜市「使用済み核燃料貯蔵施設」PA講演会で、賛成派研究者は何を語ったか

 このシリーズは、原子力PAを主題に、その第一弾として2/6に八幡浜市保内町で開催された八幡浜市主催の「使用済燃料乾式貯蔵施設に関わる講演会」について執筆しています。(参照:”ミカンと原子力の街、愛媛県八幡浜市で行われた「使用済み核燃料貯蔵施設」のPA講演会”–HBOL)  シリーズ3回目となる今回は、前回ご紹介した、長沢啓行博士による反対派の立場からの講演に続き、奈良林直(ならばやし ただし)博士、東京工業大学特任教授による、賛成の立場からの講演について執筆します。
奈良林氏講演開始前

奈良林氏講演開始前 2019/02/06 牧田撮影

福島原発事故後も精力的にPA活動をしてきた学者

 奈良林氏は、東芝の原子力部門にて長年安全解析に携わり、北海道大学で教授、退職後東工大で現職です。研究、委員会活動、教育の傍ら原子力PAにも精力的に携わっており、原子力PAではかなり有名な人物です。その中ではプルトニウムは食塩より食べても安全、32g食べても大丈夫という典型的な詭弁も指摘されており、「原子力ムラの御用学者」という激しい非難を浴びてきたことも事実です。  にもかかわらず、福島核災害後に原子力業界の学者と専門家が片端から逃げ出して、職業PA師だらけになってしまったあとも罵声を浴びながらも精力的にPA活動を続けており、こういう人物が何を考えているかにたいへんに強い興味を持ってきました。  原子力PAで食い扶持や小遣いを稼いでいる元官僚や文化人、メディア人士、学者、いわゆる職業PA師は星の数ほどいますが、奈良林氏は奨学寄付金や委任経理金はともかく、個人的なお金が目当てで原子力PAをやる必要は無く、「御用学者」というラベリングについては、自省を込めて慎重である必要があります。  典型事例は、石川迪夫(いしかわみちお)博士(日本原子力技術協会最高顧問)で、私は尊敬しています。ただしこの方のために最高顧問という役職が作られるなど、すごく面白い方です。会議をすると会議が永遠に終わらなくなるので、覚悟がいると、原子力屋の知人は口をそろえて恐れています。石川氏は、福島核災害後も反論PA活動に精力的に関われており、脱原子力陣営からはかなり胡散臭く見られていますが、電気新聞への緊急寄稿記事で2011年3月18日には、福島第一で炉心溶融が起きていることを報道からの断片的な情報にもかかわらず断言していました。

「賛成」の立場で語った奈良林直博士

 さて、それでは賛成の立場から語った奈良林博士の講演を紹介していきましょう。なお、前回同様、用語は、筆者が通常使うPWR系用語に統一しています。また、括弧内は筆者による補足説明となります。  既述のように奈良林氏は、昭和53年に東工大・院で原子核工学修士課程修了の後、東芝入社、原子力事業本部原子力技術研究所にて安全解析に携わっていたようです。これは日本人が極めて苦手とする原子力安全論ではなく、プラントの健全性などの評価、解析が主であって、日本が得意とするものです。  また昭和53年入社ですので、日本の原子力業界は導入期の苦しみを克服しつつあり国産化次いで第一次改良標準化計画に邁進していた時期です。その後第二次改良標準化、第三次改良標準化、高経年化BWRの大修理の時代に東芝で活躍されており、日本原子力界の黄金期を過ごした方であるといえます。その後、斜陽化しつつある原子力産業に原子力ルネッサンスという希望の光が見える直前に北海道大学に移られており、アカデミックとしては原子力ルネッサンスの勃興期から破綻までを過ごされ、今に至っています。  特に1985年以降日本のBWRは初期の不良、欠陥を品質・材料・工程管理によって克服し、その後17年間一部の例外年を除き極めて優秀な設備利用率を誇っていました。また80年代は原則としてBWRとPWR各炉型につき毎年最低1基運開することで工程在庫量を維持するという国策によってフランスと並んで世界でも最も活発な新炉建設を維持していました。90年代には第三次改良標準化炉として世界初の3G炉であるABWRを実用化し、まさに絶頂期でした。  しかし、すでにこの頃に電事連はFBR(高速増殖炉)実証炉計画からの離脱と大間ATR(新型転換炉: CANDU-Bの大幅簡易化炉)※1 の引き受け拒否を決めており、陽は陰りつつあったといえます。  奇しくも奈良林氏が北大に移った2001年を最後に日本のBWR陣営は過去数十年にわたる重大な事故隠し、欠陥隠しが次々と露見し、設備利用率は事業維持が危ぶまれるほど長期低迷し、福島核災害に至っています。2002年以降、まさに品質保証・品質管理・文書管理で日本のBWRが破滅してしまったのは皮肉なものです。 ※1:ATRは、FBR失敗の保険として動力炉・核燃料開発事業団で開発された炉で、廃炉中のふげんが原型炉に相当する。重水減速軽水冷却沸騰水型炉であるが、カナダの重水減速重水冷却沸騰水型炉:CANDU-Bの低価格運用化簡易設計炉と考えられる。本来ならば、きわめて優れた商用炉であるCANDU-A(PHWR: 加圧重水炉)をそのまま導入すれば良かったのだが、原研黎明期からCANDU論争に至る骨肉の争いともいえる原子業界内の対立により、CANDU派は事実上粛清されてしまった経緯がある。また、CANDU系はATRも含め核拡散耐性※2 が原理的に低いという難点がある。なお、BHWR(沸騰重水炉)のCANDU-Bは、経済性の悪さから失敗作であり、廃炉された。CANDU-Bのジェンティリー1号炉は、1972年運開、77年運転終了、現在安全貯蔵中で、2061年に遅延解体終了の計画である。廃止措置期間は84年であり、英国の世代間廃止とともに長期間での廃止を目指している。 ※2:核拡散耐性とは、核物質などの核兵器開発への転用されにくさを意味する。黒鉛炉は核兵器用プルトニウム製造に適する=核拡散耐性が著しく低いために保有は核疑惑に直結する。商用大型軽水炉は、核拡散耐性が高くIAEAによる査察のもと、核兵器開発転用は、不可能では無いものの極めて困難と考えられている。重水炉は、天然ウランを燃焼出来るために使用済核燃料の放射能が弱く、核拡散耐性が低い。また、CANDU系は、運転中に随時燃料交換が出来るために低燃焼度の使用済み核燃料を随意に製造出来る。結果、純度の高い239Puの製造が容易であり、核拡散耐性はおおきく下がることとなる。事実、インドは核開発にCANDUを用いたとされ、カナダに大きな衝撃を与えた。もちろん、IAEAの査察による保障措置によって核拡散耐性は人為的に維持されている。  奈良林氏の講演資料は、配布されたもので64面です。図絵が非常に多く文字が少ない色鮮やかな資料です。ただ、出典表示に抜けや無いものが多く、本稿執筆の際には原典確認に苦労しています。  今回の講演では、「脱・原発と使用済燃料乾式貯蔵施設の意義」と題して次の順で講演が行われています。 1) 再生エネの限界と原子力発電の必要性 2) 原子燃料サイクルと使用済燃料の乾式貯蔵の役割 3) 地球温暖化のリスク 4) 原発を止めているリスク 5) 世界の脱・脱原発と中国のエネルギー政策 6) 深地層処分と長半減期核種の消滅処理 7) まとめ  上記1)~7)となります。経験上、これだけの内容ですと大学の共通教育で90分一コマでは時間が足りませんが、時間が限られており仕方ありません。ここでは、奈良林氏の講演内容を非常に短く要約してご紹介します。
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PA学者は、再エネの限界と原子力発電の必要性をどう語るか?
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