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H-IIBロケットの第2段エンジン
日本の主力ロケットとして活躍するH-IIAとH-IIBは、両機とも飛島工場の中にある、第2工場というところで生産が行われている。第2工場の建物自体は広いものの、完成し出荷間近の機体から、まだ生産が始まったばかりの機体まで、所狭しとロケットが並んでいるため、やや狭くも感じる。ここでは最大4機のロケットを同時組み立てできるという。ちなみに、H-IIAとH-IIBでは前述のように機体の寸法やエンジン数などいくつも違いがあるものの、生産時の手間は大して変わらないという。
なお、この第2工場はロケット以外に「こうのとり」の製造も行っており、さらに隣接する第1工場では航空機の部品製造や組み立ても行われている。工場の大きさや事業の規模から言えば、どちらかというと航空機のほうが主である。
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飛島工場の案内図。ロケットは第2工場で、航空機は第1工場で生産が行われている。この図からも明らかなように、第1工場のほうが圧倒的に大きい
三菱重工とロケットとのかかわりは、1975年に開発された「N-I」にまでさかのぼる。このころ、日本におけるロケット開発は、宇宙を科学的に観測・探査する宇宙科学研究所のロケットと、通信衛星や地球観測衛星といった実用衛星を打ち上げる宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)に分かれており、このうち後者については米国からの技術援助を受けて開発が始まった。開発の主体となったのは宇宙開発事業団だが、実際の製造などを担当したのが三菱重工だったわけである。
1975年のN-Iロケットの打ち上げを皮切りに、1981年には能力を強化した「N-II」ロケットを開発。さらに1986年には「H-I」ロケットの開発にも成功した。このN-IからH-Iまでは米国の技術を中心にしていたものの、日本が手がけられる部分を徐々に増やし、独力でのロケット開発に必要な技術を蓄えていった。そして1994年、ついに完全国産の「H-II」ロケットの開発に成功。2001年には性能はそのままに、輸入品などを活用することでコストを削減したH-IIAロケットが完成。そしてH-IIBが生まれ、現在に至っている。