70年代から新右翼界隈の優れたレポートを発表し続けてきた、猪野健治。
主に教科書問題を追いかけ続ける、俵義文。
圧倒的な史料を用いて戦後の右翼を追いかけ続けた、堀幸雄。
戦争責任追及と差別問題への取り組みから、日本の言論空間の異常さに警鐘を鳴らす、上杉聡。
そして、政治家個人を分析することによって「戦後」をとらえなおそうとした、魚住昭。
これらの偉大なる先達たちは、それぞれ全く違う分野で、自分の見つけたそれぞれの「不思議なケモノ道」を探り続けていた。彼らの仕事はみな極めて細密で、他の追随を許さない。そしてその徹底した仕事ぶりから、彼らはそれぞれ、自分が見つけたケモノ道をさらに奥深く突き進んでいく。これ以上もうケモノ道を遡ることができない……となった時、彼らが一様に気づいた存在こそ「日本会議」の存在だ。彼らが追いかけていたケモノ道は、みな「日本会議」――「一群の人々」の巣穴――につながっていたのだ。
加藤紘一は逆だった。