どうしても会わなくてはいけなかった男――シリーズ【草の根保守の蠢動 特別編】

加藤氏の話を聞かねばならぬ理由

 本連載では、偉大なる先達・魚住昭による『証言・村上正邦』を何度も引用した。魚住による丹念な仕事は、村上正邦が政治家としての歩んできたキャリアと、村上正邦のなんとも言えぬ敬愛すべき人柄を浮き彫りにしている。そして魚住は、そうした村上のキャリアの裏に「一群の人々」が常に付き従っていたことを明るみにした。  中でも本連載が注目したのが、魚住によって初めて明らかにされた、「戦後50年決議」作成の舞台裏だ。あの時、村上正邦は、椛島有三など「一群の人々」の突き上げをくらい、加藤紘一・野中広務率いる自民党執行部と調整を続けた。つまり加藤紘一もまた、あの時、「一群の人々」と対峙した人物なのだ。  それだけではない。加藤紘一は誰よりも早く、そして誰よりも明確に、「日本会議」の危険性を、「日本会議」という四文字を使って直接、名指しで、世に訴えた人であった。

日本会議に誰よりも早く「気付いた」男

 山形県鶴岡市にある加藤紘一の実家が放火された「加藤紘一邸放火事件」が起こったのは2006年の終戦記念日のこと。放火後、割腹自殺を図った犯人は、現場でうずくまっているところを逮捕された。犯人は右翼団体「大日本同胞社」に所属する老活動家だった。警察による取り調べの結果、犯人は、加藤が小泉首相の靖国神社参拝に反対の声を上げることに抗議するため加藤の実家に放火したことが明るみになった。  この年の11月、加藤は一冊の本を上梓している。『テロルの真犯人』と題されたこの本で加藤は、彼の実家を焼きつくしたあの放火事件の背景に迫っている。犯人の個人的な生い立ちや、犯行当時の状況だけにとどまらず、「あの老活動家をテロルに走らせたものは何か?」をあらゆる方面から理解しようと、この本の中で加藤はもがいている。加藤の思考と検証は、必然的に「時代の空気」にまで及ぶ。そして加藤は、「日本会議こそ、この空気感を醸成してる大きな要素ではないか」ということに気づく。 「時代の空気」と題された同書第6章で加藤は、「日本会議と『ゴーマニズム宣言』」というまさにど真ん中のタイトルをつけた一節さえ設けている。その小節で加藤が行った作業は、小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』に現れた言説が、日本会議の主張とそっくりであること、そして、安倍晋三の『美しい国』にも同じ記述があることを指摘する。  この作業は、筆者が本連載と書籍版である『日本会議の研究』で行った作業と全く同じだ。加藤もまた、資料を集め、比較し、突き合わすことで、日本会議と「一群の人々」の存在を告発していたのだ。そして加藤のこの作業は、他の誰よりも早い。魚住の『証言・村上正邦』が出版されたのは2007年10月。加藤の前掲書より一年後のこと。元となった月刊誌『世界』の連載とて、2006年11月からのスタート。あの魚住の偉大な仕事でさえ、加藤の告発より後なのだ。さらに加藤は、第一次安倍政権の誕生に際し朝日新聞のインタビューに答え、2007年3月29日、日本会議を名指しにし、強い懸念さえ表明している。加藤は全てを知っていた。そして、加藤こそ、誰よりも早く、日本会議の存在に警鐘を鳴らした人物なのだ。  日本会議についてメディアが取り上げるとき、「これまであまり触れてこられなかった日本会議」という言い回しが多用される。だが、加藤の事例のように、これまでも日本会議の存在と危険性を触れ続けてきた人々はいるのだ。
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警鐘を鳴らしてきた先達
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日本会議の研究

「右傾化」の淵源はどこなのか?「日本会議」とは何なのか?