「ポニョ」舞台の鞆の浦、遥かに遠い「本当の景観維持」

クルマ社会に翻弄される景勝地

福禅寺対潮楼から見た弁天島。鞆の浦を代表する景観だ

 古代より「潮待ちの港」として知られ、瀬戸内海を行き交う商船や朝鮮通信使一行などの寄港地となっていた鞆の浦。  万葉集の時代から近年の映画作品に至るまで様々な作品の舞台となったこの地は、現在も常夜燈(江戸時代の灯台)や船宿が残るほか、晴れた日には四国の香川県・愛媛県まで一望することができ、瀬戸内海の多島美も楽しめるとあって、映画のロケ地として有名になったこともうなずける。  その一方で、江戸時代以前の港町の面影を色濃く残しているがために道路が非常に狭隘で、幹線道路の県道であっても車両の離合(すれ違い)が困難であり、モータリゼーションの進行とともに朝晩は毎日のように渋滞が発生、路線バスや緊急自動車の走行もままならない状況となっていた。  このような劣悪な鞆の浦の交通事情の改善と防災のため、広島県は1983年より沿岸部を埋め立てて架橋し、それにより県道を拡幅する計画を進めてきたのだった。  しかし、埋め立て架橋は鞆の浦の景観を大きく変えるものだった。そのため、2005年にはイコモス(国際記念物遺跡会議、ユネスコの諮問機関の1つ)は「景観を破壊する恐れがある」として計画の中止を勧告。更に、2007年に反対住民が埋め立て中止を求めて広島県を提訴、2009年10月には、広島地裁が住民勝訴の判決を言い渡した。これを受けて、広島県知事も架橋計画を中止し、県道バイパスを建設する際には道路をトンネル化する方針を表明。そして、今回の合意により、埋め立ての中止は決定的なものとなった。
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根本的な問題は解決されぬまま、観光客増で渋滞悪化
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