杏璃さんに母の面倒を見るよう始終口を辛くして伝えていたのは祖父母だった。祖父母は死産や逆子などで第一子と第二子を亡くしており、元気に育った第三子として杏璃さんの母親を溺愛していた。祖父母の杏璃さんへの期待は成長するごとに高まり、同時に杏璃さんの自由の制限と精神的負担も増していった。
「小学校に入る前くらいから、母の躁鬱の状態が悪いと嫌味を言われるようになりました。『杏璃がしっかりしないから恭子(母)がこうなってしまうんだ』とか『父親そっくりで何もできないんだね』とか。
高校生や大学生になってくるともっと酷かった。家にいることを強制されて自由がなかった。妹は夜遅くまで女友達と外を遊びまわっていても何も言われないのに、私は許されない。ちょっと遊びに行ったり出かけたりするのも、妹は自由に行っていいのに私は事前に許可を取らないといけない。どうして私だけ、って思っていました。
祖父母は『お母さんのお世話をしなければいけないのにどうして家にいないの?』って言うんですね。だからもちろん、成人しても大学でサークル活動をすることさえ反対され続けるし、実家を出ることも許してもらえませんでした。『母の面倒を見られないなら役立たずだ』って、母方の叔母まで出てきて家族会議で私だけ責められる。20歳のとき、恐らくこうしたストレスも引き金になって鬱病になってしまいました」
ヤングケアラーには、良好な家族関係のなかで自ら望んでケアを行なった結果として、次第に学業や心身の健康に影響が出てしまう人がいる。一方で、杏璃さんのように家族の事情によって半強制的にケアを担当せざるを得ない人も多く存在する。
成績面でも期待をかけられていた杏璃さん。祖父母が近所の評判を気にするため、高校で良好な成績を取ると機嫌が良くなり、家庭内の喧騒が少し静まったという。ケアや成績など多重にかけられ続ける期待に息苦しさは酷くなる一方だった。その結果、杏璃さん自身が鬱病になってしまう。
「23歳のとき鬱状態で2週間入院し、24歳で大学を退学してしまいました。精神科に通って療養に務め、その後は単発のアルバイトをするか引きこもるという生活をしばらく続けていました」