なぜ新聞の政治報道に違和感が生じるのか? 現役記者の「3つの欠如」<対談:松本創 x 上西充子>

国会

K@zuTa / PIXTA(ピクスタ)

 政治によってさまざまに歪められた言葉は、今までもたびたび議論に上がってきた。「ご飯論法」などの不誠実な答弁や、言葉の定義の意味不明な書き換えなど、枚挙にいとまがない。  しかし、国会中継や政治家の答弁を注視する人々の間では、それを報じるメディアの「言葉遣い」にもまた不信感が高まっている。  論点ずらしの答弁を「ご飯論法」として読み解き、国会における野党の質疑や政府側の答弁を国会パブリックビューイングを通じて可視化してきた法政大学の上西充子教授もまたその1人だ。  今回は、政治を巡る報道に関して、一般市民が抱く疑問に多面的に切り込んだ当サイトの連載をまとめた『政治と報道』(扶桑社新書)の著者である上西教授と、国政以上に特定政党によるメディアコントロールが進んでいる大阪を主戦場として、鋭い論考を発表し続けているライターであり元神戸新聞記者である松本創氏の対談を通じて、政治と報道の現場で何が起きているのかを語っていただいた。

政治報道不信をテーマにすることへの逡巡

上西充子(以下、上西):私のほうから今回、松本さんに対談をお願いをしたいと思ったのは、元々ハーバー・ビジネス・オンラインで「政治と報道」をテーマに短期集中連載をやることになったとき、「私がこんな連載をやっていいのか」というためらいがあったんです。  というのも、南彰さんが『政治部不信』(朝日新書、2020年)を出し、新聞労連の中央執行委員長としても問題提起をされていて、私もちゃんとした首相記者会見をやるようにと南さんと一緒に求めたりしたんだけれど、記者と権力側との距離感とか背景事情とか、わからないところがたくさんあったんです。  実際、南さんと話をして気づかされたのは、あまり記者が対決姿勢になってしまうと、オフレコ取材に応じてもらえなくなり、情報を取れなくなってしまう事情もあるそうで。  そういうことを知らないままに、「なぜもっと批判的に追及できないんだ」って批判するのは、一方的だなという気持ちもあったんです。  でも、報道側が内部事情を語ってくれない以上は、新聞のいち読者としての問題意識をより精緻な形、より詳しい形で問い掛けるのにも意味があるんじゃないかと、連載を続けてきたんですね。  とはいえ、当然穴はあるだろうし、「それは違う」ってこともあるだろうし、神戸新聞にいらっしゃって、その後フリーランスになられて、維新と報道機関との関係などをずっと問い掛けられてこられた松本さんに、第三者的な視点でお話を伺えないかと思ったんです。 松本創(以下、松本):なるほど。僕自身は政治部という組織に在籍したことがない、そもそも神戸新聞に政治部はありませんし、国会取材の経験がないので、自分が地方紙の記者として行政や政治取材をしてきた経験と、大阪など各地の地方メディアの仕事ぶりを取材してきた経験をベースに、今日の話をしたいと思います。  ただ、先生の連載を拝読していると、「事実」と「自分からはこう見えている」ということを、すごく丁寧に切り分けられていて、問題提起も非常に的確……というと偉そうですけど、正しいと思いますし、そういう外からの目は記者たちにも必要で、考えるべき点だという印象をうけました。  記者として、日常の業務中にそこまで考えられないけど、一歩引いて見るとやっぱり問題だということが整理して示されていたし、記者側にとっても外在的な批判は非常に必要だと思いました。上西先生の問い掛けを真剣に受け止める人が、中の人から1人でも2人でも10人でも出てくれば、少しずつ変わってくるのかなという感じがしました。

個人としての「記者」とSNS

上西:ありがとうございます。私が記事を書いたら、「そう、それが言いたいことなんだ」と、これまで記事のあり方に不満を持っていた読者側の人たち、メディアのあり方に不満を持っていた人たちはすごく反応してくれて。他方で、あまり記者側からは反応してくれないんですよね。言いにくいんでしょうかね。 松本:そうですね。SNS上の記者たちの発言っていうのは、多くが怖々というか、最初は実名ではっきり主張していた人も、炎上や批判にさらされておとなしくなったり、自社記事の告知だけになったりしますもんね。個人としての考えを自由に発言することは、社員記者としての立場上、なかなかうまく折り合いが付かないことがあるんじゃないですかね。 上西:松本さんも組織メディアに所属されていたわけですが、一記者として言えることと言えないことがあるとか、社会部と政治部とか、ジャーナリズムと経営とか、いろいろと対立する面がありますよね。 松本:何人かの記者に「僕も実名でTwitterとか始めたいんですけど、どう思います?」と聞かれて、僕は正直おすすめしないと彼らには言ったんです。あなたたちはTwitterとかSNSで瞬発的に自分の考えとかを発信するよりも、報道という自らの使命を通じて世論に議論の材料を提供するのが仕事なんじゃないかなと。たぶん「何とか新聞の記者」ってだけで、しょうもないクソリプがいっぱい飛んでくるし、「何とか新聞の記者の言うことなんて」という反応もいっぱいある。そんなの全部無視すればいいんだけど、労多くして実り少ないというか、消耗するだけであまり意味がないよ、と言ったんですけどね。 上西:おすすめしないっておっしゃったんですか? 松本:そうですね。 上西:いや、でも私はね、先日、毎日新聞の一宮俊介記者が、ネットの見出しと新聞の見出しは違うことや、見出しは記者が自分でつけられないことなど、一般の読者にわからない事情をツイートしているのを見て、それは非常に参考になったんですね。 松本:なるほど。そういうのは意味がありますよね。でも、例えば今の政治情勢や審議中の法案について考えを述べたり、ある政治家の政治手法を批判したりとかは、日々の取材・報道を通してやるべきなんじゃないのっていう。別に発信してもいいんだけど、それに対するリアクションが釣り合わないというか、発信と成果が見合わないよって。ただ、先生がおっしゃるように、新聞社にはこういう部署、流れがあって、デスクがいて整理部が見出しをつけて……ということって、案外知られていなかったりするので、そういう実情を伝えるのはあっていいと思いますね。
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現場がない・時間がない・思想がない
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【HBOL 編集部よりお知らせ】
上西先生による本サイト連載「政治と報道 報道不信の根源」が本になりました! 本連載及び上西先生による過去執筆記事を「政治と報道」をテーマに加筆・編纂。いまの国会で何が起きていて、それがどう報じられているのか? SNSなどで国会審議中継をウォッチしている人と、ニュースでしか政治を見ない人はなぜ認識が異なるのか? 政治部報道による問題点を、市民目線で検証しています。

政治と報道 報道不信の根源

統治のための報道ではない、市民のための報道に向けて 、政治報道への違和感を検証