白人でも黒人でもない、アメリカ文化に秘められた「チカーノ音楽」の魅力とは

自らさまよい歩いた、現地の感覚を大事に

宮田信氏

宮田信氏

――編集上、特にカタカナ表記問題については非常なご苦労があったと思うのですが。 宮田:今はいろいろと便利になっているので、調べることは非常に楽なのですが、「この表記は現地で通用するのかな」という場合も多いです。英語とスペイン語の表記の違いについては常に問題になりました。  調べたうえで奏でる音楽のタイプによって少し変えてみたりとか、どうしても判断しかねる場合はルーベンさんに音声ファイルを送って確認してもらったりました。英語・スペイン語の原則に沿って表記するのもいいのですが、それだけだとどうしても現地の感覚とズレが生じでしまうので、現地で通じるかどうかを基準に見直しを図ったのです。  メキシコから来たばかりの人はともかく、何世代も住んでいる人についてはゴンザレスさんもゴンサレスさんもいて、かなり揺れが出てしまいます。基本的にはその本人が決めることなので、どれが正しいというのはないと思っています。  ファーストネームは英語風になりやすいのですが、ドミニクをドミニケといったり、意識の高い人ではあえてスペイン語読みする人もいたりしますし、そのあたりを本書で出したかったです。  あと苦労とは言えないと思いますが、どこそこのプロジェクト(低所得者用団地)となになに通りの距離感覚とか、あるバンドが◯◯プロジェクト出身だとか、30年以上イーストLAをくまなくさまよい歩き続けた私の経験が、今回非常に生きました。1980年代にあったけれども今はもう存在しないプロジェクトの位置関係とか。  例えば「ハザード・グランデ」という最も治安の悪いプロジェクトがあって、そこの友人宅によく泊まっていたので「ハザード出身だから△△高校までこのくらいの距離」のように情景がはっきりと浮かんできたり、かつてのライブハウスというか集会場や現在教会になっている映画館も知っていたりと、めちゃくちゃ役に立ったのです。

“格好良いもの”として再発見されるチカーノ・ソウル

――チカーノ・ソウルの現在はどのような状況なのか、また将来はどうなっていくと思われますか。 宮田:チカーノたちが演奏するソウル・ミュージックはこの2~3年復活してきています。もちろんバリオのなかだけでソウルなどを演奏するような、いわゆる地元バンドは前からずっといたのです。  ところがインターネットの発達によって、1960年代のサニー・オズーナの再発見などが若いチカーノらの間で行われ、7インチの新譜がリリースされたり、ライブにはローライダー(車高の極端に低い改造車)やチカーノファッションに身を包んだ人々が集まったりするなど、全体的なカルチャーシーンとしてチカーノ・ソウルを“格好良いもの”としてもう一度見出した状況が生まれています。  かつて隆盛を誇ったけれども、一時ややオールド・ファッションと思われていたものが、アメリカの白人の若者たちも含めて、人種を超えて再発見されているのです。  それから、インターネットを見るとたくさん出てきますが、若い歌手らがマリアッチを歌っていたり、ボレロを歌っていたりといった伝統的なものの見直しもあります。チカーノ・バットマンのように、古いラテン・ポップスやブラジル音楽などを混ぜたオルタナ・ロックを演奏してバリオを越えていくようなバンドも出てくるなど、さらに隆盛している感じがします。  トロピカリーアという10万人を動員するような音楽フェスも生まれていて、ロス・ティグレス・デル・ノルテという、メキシコ北部からアメリカ南西部で大きな人気を掴む大ベテラン・バンドもいれば、チカーノ・バットマンもヘッドライナー(主演バンド)でいるような、非常に豊かでハイブリッドな音楽が楽しまれている。駐車場には新しめの日本車などが並んで英語が飛び交うような、一見するとアメリカそのものの情景ですが、その中にはチカーノ文化が内包されているのです。
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チカーノ文化が日本の若者の共感を呼ぶ理由
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