ルーベン・モリーナ氏
――本書が扱う時代、1960~1970年代は「ブラックパワー」などカウンターカルチャーの時代でしたが、一方ではセッサル・チャベスの政治運動など「ブラウンパワー」については日本ではあまり知られていません。さらにはアメリカとメキシコのせめぎ合いの歴史も絡んできますし、やはり本書の時代背景は一定知っておくべきと思うのですが。
宮田:チカーノ・ソウルが興ったころは、公民権運動やチカーノパワーが隆盛した時代でもあります。しかしチカーノ・ソウルをやっているミュージシャンそれぞれに強い政治意識があったとは思えません。単に「バンドをやりたい」というものが多かったのでは。
ただ非常に驚いたのは、ベトナム戦争の影が非常に大きかったということです。兵士の死亡率が他の人種に比べて突出して高かったり、最前線に連れて行かれたりしたのがチカーノなどのマイノリティーでした。
あまりにひどいので、1970年に「チカーノ・モラトリアム」という大規模なデモと暴動があり、ルベン・サラサール事件(メキシコ系ジャーナリストが官憲に射殺された事件)も起き、チカーノ・コミュニティーに影響を及ぼしました。
セッサル・チャベスの農民運動も、初めはチカーノらと同じような仕事をしていたフィリピン系の農家と一緒に始まりました。またチカーノの公民権運動が都市に暮らす日系三世に強い影響を与え、「イエローパワー」という言葉が生み出されたきっかけのひとつにもなりました。
アジア系移民の多かったカリフォルニアでは、全土でマイノリティーらが声をあげていったのです。チカーノと日系人は近隣に住んでいたこともあり、音楽的な交流も生まれていていました。本書にはそこまでは描かれていませんので、いつか私が書こうと思っていますが、そうしたことを知っておくとより深く読めると思います。
我々が国境を越えたのではない。国境が我々を越えたのだ
――時代背景はやはり大切ですね。チカーノと日系・アジア系の音楽的ミックス現象のことは、後日ぜひ宮田さんが書いてください。そのほかチカーノ理解のために知っておくべきことはありますか?
宮田:チカーノの立ち位置でいうと、「われわれが国境を越えたのではない、国境がわれわれを越えたのだ」という有名な言葉があります。1848年の米墨戦争で、アメリカ南西部どころかオレゴンからルイジアナの一部に至る土地がメキシコからアメリカに割譲させられた歴史も重要だと思います。
もうひとつ重要なのが、アステカ人のアストラン神話(メキシコ人の祖先が、いまのテキサス辺りからいまのメキシコシティーに大移動して国をつくったという建国神話)という伝承です。そうした背景があるので、そもそも「米南西部は自分たちの土地だ」という意識もあるのです。
面白いのは、そういう人たちが季節労働者として国境を越えてくるときに、本書にも少し出てきますが、音楽も一緒について来るところですね。お読みになる前にこうしたことも知っておくと、より深く読めると思います。
――本書は、かつて隆盛を誇り今は忘れられたハイブリッド音楽を訪ね歩くフィールドワークとしても読めますし、自動車で長距離を巡る旅が何かロードムーヴィーのようでもありました。日本では音楽・芸術、政治や歴史と読者が分かれてしまいがちですが、双方の読者に読んでいただきたい内容です。
宮田:両方わかればもっと面白いと思います。学問の言葉で文化混淆などというと簡単なのですが、その混淆の過程の話が書かれているのが面白いですし、社会の豊かさを伝えるような面白い話がごろごろ転がっているのです。そういう雰囲気が伝わるといいなとの思いから、さまざまな立場の読者の手に取ってもらいたくて、装丁も凝ったものにしました。