「桜を見る会」の前夜祭をめぐる報道から、もう一例を引いておきたい。
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「ANAホテル、もう使わない」自民から恨み節 「桜」前夜祭で首相と食い違う説明 – 毎日新聞 2020年2月18日
これは
辻元清美議員がANAインターコンチネンタルホテル東京に文書で問い合わせ、「明細書を主催者に発行しないケースはない」との回答を得て2月17日の衆議院予算委員会で安倍首相に問いただしたことを受けた自民党内の反応を伝えた記事だ。
”
自民党のベテラン議員は「もうあそこは使わないという人が多い。軽率で、ホテルの信用に関わる。問われたことによく考えずに答えるなどああいう対応をされてはかなわない」と主張。野党や報道機関の質問に応じ、首相答弁と食い違う説明をしたことへの恨み節を漏らした。”
とこの記事にはある。「恨み節」との表現もあるが、「もうあそこは使わない」「ホテルの信用に関わる」というのは、
ホテル側にとってはかなりな圧力と感じる発言だろう。その発言を報じながら、しかしその
発言主体は「自民党のベテラン議員」とぼかされている。
記事ではこれに続いて、
”
これに対し、国民民主党の榛葉賀津也参院幹事長は18日の記者会見で「信じられない発言だ。自分たちが黒だと認めているようなものじゃないか」と指摘。「ホテルにも失礼な話で、私は積極的に使いたい」と強調した。”
と記されているので、この「自民党のベテラン議員」の発言は圧力発言という扱いで報じているということはわかる。しかし、榛葉賀氏が実名であるのに対し、
「自民党のベテラン議員」は匿名であるというのはアンバランスだ。
そして今、私たちは、
ホテル側の文書回答が正しかったことを知っている。
明細書は実際に発行されていた。
つまり、この
「自民党のベテラン議員」は、当該ホテルに、さらには政府与党という権力者と関係する様々な主体に、不当な圧力をかけた。にもかかわらず、匿名であるが故に、その責を負わずに済んでいる。
そういう状況に、報道は加担してよいのか。
黒川弘務東京高検検事長(当時)と新聞記者との賭けマージャン問題を受けて、南彰・新聞労連委員長(当時)らは今年7月10日に「
ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言」を日本新聞協会に加盟する新聞・通信・放送129社の編集局長・報道局長に送付した。そこでは
「権力との癒着・同質化」「記者会見の形骸化」「組織の多様性の欠如」「市民への説明不足」「社会的に重要なテーマの取りこぼし」という5つの問題が列挙されたうえで、6つの提言がおこなわれている。その中には、こういう提言が含まれている。
「
記者は、取材源を匿名にする場合は、匿名使用の必要性について上記ガイドラインを参照する。とくに、権力者を安易に匿名化する一方、立場の弱い市民らには実名を求めるような二重基準は認められないことに十分留意する。」
ここで言う「上記ガイドライン」とは、2つ目の提言にある「
各報道機関は、社会からの信頼を取り戻すため、取材・編集手法に関する報道倫理のガイドラインを制定し、公開する」を指している。
この提言にあるように、「権力者を安易に匿名化する」という現状に対し、問題意識を持つことは重要だ。しかし、楊井人文氏によれば、この提言は原案からかなり後退したものであったという。
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メディア信頼回復の鍵は「透明化」 有志提言の“原案”が提起していた「真の問題」とは(楊井人文) – Y!ニュース(2020年7月18日)
楊井氏によれば、「オフレコ取材に基づいた特ダネ競争を重視してきたメディアの体質が、情報公開に消極的な日本の公的機関・公人の体質を助長してきた面がある」と率直な「反省」を示しつつ、
「記者会見や情報公開など、開かれた取材手法を積極的に活用し、検証可能な報道に努める」という提言も盛り込まれていたが、これらは削除されたという。
その経緯は筆者にはわからない。オフレコ取材や匿名報道について、一律の基準を設けることは困難であるのかもしれない。しかし、上記の2つの例からわかるように、
権力者は自己正当化のために、あるいは圧力をかけて真実を知る者を黙らせるために、匿名で記者に語り、それを報じさせることによって、その発言を拡散させることができる。そして報道機関は、報じることによって、結果的に権力者の意図に加担してしまうことになる。
そうならないためには、こういった発言については、報じるのであれば実名で報じるべきではないか。実名で報じてこそ、発言者にその発言の責任を負わせることができる。匿名であれば、いくらでも逃げることができ、いくらでもミスリードをねらった勝手な発言ができてしまう。