「左翼」としてのマラドーナ。常に弱者の側に立った天才フットボールプレイヤー

メッシとマラドーナ、2人の天才を分けるもの

 現代サッカーの天才、リオネル・メッシ(現FCバルセロナ所属)とマラドーナとは何が違うか、という話になることがある。今から30年以上前のサッカーと現代の最新サッカーや選手の育成システムなど条件が違う部分はあれど、この二人が同じアルゼンチン人の選手というだけではなく、史上最高のサッカープレイヤーの候補にあがるのは間違いないからだ。  おそらく実績からすれば、メッシのほうがすでにマラドーナを上回っているだろう。唯一足りないのはワールドカップ優勝の経験がないくらいだ。それでもメッシはあらゆる栄冠を手に入れて、おそらくこれ以上の選手は私が生きているうちには、もう見ることができないと思わせるほどだ。  この二人の違いは何かといえば、メッシが少年期からバルセロナの育成組織に所属してエリート街道を突き進んだのに対して、マラドーナの人生の道程は波乱であり、どちらかというと陰影が激しいということだ。例えばマラドーナは薬物などのトラブルで合計で3年近くもサッカー選手としての活動を禁じられている。  しかしもっと大きな違いがある。それはディエゴ・マラドーナは必ず弱者の側についたことだ。

「生まれてからこのかた、俺はずっとそうだった」

 弱者のポジションにいるときがマラドーナの本領だった。マラドーナの五人抜きと神の手ゴールという善悪の両義性を顕現した1986年のメキシコ大会の時、アルゼンチン国内ではその時の代表チームは最弱とまで謗られていた。けれど、マラドーナはそのような窮地に追い込まれた時にこそ輝き始めるのだ。  神の手ゴールでイングランド相手にマラドーナは勝利を盗んだ。その数分後に誰しも文句をつけることができない悪漢の神業でイングランドの屈強な選手をかいくぐってゴールを決める。誰しもこの時、まだ戦火が記憶にあるイギリスとアルゼンチンのフォークランド紛争の敗戦を思い起こしていた。彼は義賊のようだった。 「生まれてからこのかた俺はずっとそうだった」とマラドーナは言う。  後年、彼は様々な悪事に手を染めるが、その人気は決して衰えることがなかった。彼はいつも弱者の側についたからだ。  そういう意味で彼を生粋のポピュリストということもできる。彼が悪事にいくら手を染めていたとしても、何の失敗をしようとも、それは崇拝者にとってはどうでもいいことだ。「彼は私たちの側にいる」と弱者はマラドーナをいつも感じている。それだけで十分なのだ。  マラドーナが左翼だというとき、私は左翼であることはどんなことかを思い起こす。それは思想ではない。左翼であるということは弱者の側につくことだ。  波乱に満ちた、彼の決して長いとはいえない生涯をたどると、マラドーナは、また今一度教えてくれる。 参考図書 『マラドーナ自伝』(幻冬舎 2002) 『ナポリのマラドーナ イタリアにおける「南」とは何か』(山川出版社)(北村暁夫/山川出版社 2005) 『アナキストサッカーマニュアル―スタジアムに歓声を、革命にサッカーを 』(ガブリエル・クーン/現代企画室 2012) <文/清義明>
せいよしあき●フリーライター。「サッカー批評」「フットボール批評」などに寄稿し、近年は社会問題などについての論評が多い。近著『サッカーと愛国』(イーストプレス)でミズノスポーツライター賞、サッカー本大賞をそれぞれ受賞。
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