「左翼」としてのマラドーナ。常に弱者の側に立った天才フットボールプレイヤー

被差別者としてのナポリ人の代弁者だったマラドーナ

 イタリアには「南北問題」がある。経済的な格差と文化や風習の違いもあるイタリア南部は、北部の工業地帯からすれば歴史的にも同じイタリアとみなせないという根強い偏見がイタリアには続いている。南部の人間はイタリア人とは違う人種であるという差別も普通に存在する。  南部のチームが北部のチームの遠征にアウェイのスタジアムにつくと、こんな横断幕で出迎えられる。「イタリアへようこそ」。おまえたちはイタリア人ではないということだ。  ナポリの南北問題とマラドーナの関係は、北村暁夫『ナポリのマラドーナ イタリアにおける「南」とは何か』(山川出版社)に非常に詳しいので、ここではざっとしか触れない。興味ある方はそちらをご覧になってほしい。  マラドーナは、このイタリアにおける差別/被差別の南北の関係を、もっとも意識的に引き受け、そしてそれを利用した。決して強豪とはいえないナポリをクラブ史上初のセリエA優勝と二度目の優勝をもらたらしたのは、間違いなくマラドーナだ。しかしマラドーナが今でもナポリで聖人のように崇拝されるのはそれだけだからではない。 「ナポリ人に対するひどい人種差別があるって、いまさら言わなきゃいけないのは情けないよね。ナポリはイタリアに決まっているのに

ワールドカップ、イタリア対アルゼンチン戦での困惑

 彼は被差別者としてのナポリの人たちの代弁者だった。1990年のワールドカップイタリア大会で、マラドーナのアルゼンチンはイタリアと対戦することになった。この試合はマラドーナにとって一世一代の殉教者マラドーナを体現する場所になった。彼は彼を愛するナポリの人たちとも戦わなければならなかったからだ。  ナポリのサポーターは横断幕を出した。「今日だけはおとなしくしててくれ、ディエゴ・マラドーナ」「ナポリはきみを愛する。しかしイタリアはわれわれの祖国だ」  マラドーナは複雑だった。黒人選手にはブーイングをし続け、南部の人間はそれと同じ扱いで差別用語を浴びせる。しかし、このワールドカップの舞台だけは別だった。ナポリのひとたちが、こんな時だけイタリア人扱いされるが、普段はイタリアから除外され、不公平な人種差別にあっていることをマラドーナは悲しく見守るしかなかった。そしてその姿を見て、ナポリのひとたちはさらに支持を深めた。  ナポリの本拠地のスタディオ・サン・パオロを、マラドーナの死去にともなって、「ディエゴ・マラドーナ・スタジアム」と改称しようという話が出ているらしい。37年前にナポリのファンが鉄柵に体を縛りつけたスタジアムだ。マラドーナが移籍するまでここを離れないという抗議運動だ。ハンガーストライキをする人物まであらわれたという。
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メッシとマラドーナ、2人の天才を分けるもの
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