「日本学術会議任命拒否問題」、たった一つの論点。これさえ読めばデマや論点そらしには惑わされない

法的安定性と解釈変更

 何が適法で何が違法か明確になってないと、法律というのは意味がないんです。  よくわからないうちに解釈が変わっていまして、いつ変わったかはわかりません。なんていう国家は法治国家じゃないです。  法律にはこう書いてあるけど、別にこれは守らなくてもいいです、なんていう国家も法治国家じゃありません。  憲法における解釈変更というと、いわゆる自衛隊の存在とかが有名ですけど、憲法66条第2項の「文民条項」というものがあります。  もともと自衛官は建前として軍隊じゃないので文民としていたものを、いや実質的に軍隊だから文民じゃないだろう、と解釈を変えたんです。 ”当初は、自衛官は文民に当たると解していた。  その後、自衛隊制度がある程度定着した状況の下で、憲法で認められる範囲内にあるものとはいえ、自衛隊も国の武力組織である以上、自衛官がその地位を有したままで国務大臣になるというのは、国政がいわゆる武断政治に陥ることを防ぐという憲法の精神からみて、好ましくないのではないかとの考え方に立って、昭和四十年に、自衛官は文民に当たらないという見解を示したものである。”(出典:衆議院議員島聡君提出政府の憲法解釈変更に関する質問に対する答弁書) これは政府が明確に「解釈変更しました」と述べているんですね。  ただ、憲法というのは単純な立法ではなく、また憲法改正というのも通常の立法過程とかなり違うものになってしまうので、その是非はともかく解釈変更する意味というのはわかるんですね。  しかし、一般法というのは内閣が内閣の権限として法律を出して成立させることが出来るわけですから。これを閣法として出さずに勝手に解釈変更するのは、立法府を空洞化させる大変罪深いものです。

国会の意義とは

 そもそも国会というのは、議員と行政がお互い答弁して文字に残して、それをもとに国家運営していくことに意味があるわけですね。  これが議会人としての責務なわけです。それを、なんか知らないうちにぽいっと捨ててしまう。これほど議会や立法府を馬鹿にした行為はありません。  もう一つ。 ”日本学術会議法 第一条  日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。 ”  まず、「所轄」なんですけど、芦部信喜さんが書かれた「憲法」に、所轄というのは任命権と予算権を持つくらいで監督権はほぼ働かない、という記述があるんです。 更に、 ”日本学術会議法 第三条  日本学術会議は、独立して左の職務を行う。 ” を合わせれば、法文上、日本学術会議が政府の監督権のない独立機関であることは明確である、と言えると思います。  もとより、学術会議法の二十五条には、内閣が学術会議のメンバーを罷免する際には学術会議の同意が必要、とあります。  内閣府は、任命拒否の根拠条文を ”日本国憲法 第15条  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。” に求めているわけですが、そもそも条文で罷免の権限を縛る立法をしている以上、それを根拠にはできません。  もし「内閣総理大臣によるすべての任命権が憲法上の権利である」という答弁を維持するなら、現状の日本学術会議法は、明文的に罷免権を制御し、憲法15条を犯す違憲立法である、という論理が成立してしまいます。  少なくとも現在の法制度上は、内閣は監督権も及ばず、辞めさせる権限もない。辞めさせる権限がないのに、任命を特定の人だけ拒否できるというのは一般的に考えてもおかしな話です。  先程の文教委員会で、中曽根総理はこうもおっしゃってるわけです。 ”独立性を重んじていくという政府の態度はいささかも変わるものではございません。  学問の自由ということは憲法でも保障しておるところでございまして、特に日本学術会議法にはそういう独立性を保障しておる条文もあるわけでございまして、そういう点については今後政府も特に留意してまいるつもりでございます。”  そもそも拒否された先生方が刑法や憲法学、行政法などでそれぞれ日本の権威です。  もともと政府の審議会に入っていたり、司法試験の審査委員をやっていたり、第一人者です。その方々が法解釈を間違っているとご発言されているわけです。
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国会議員やメディアが流すデマや論点そらしに騙されずに国会を注視せよ
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