「日本学術会議任命拒否問題」、たった一つの論点。これさえ読めばデマや論点そらしには惑わされない

中曽根元総理の答弁

 昭和58年5月12日 参議院文教委員会で、八代英太(前島英三郎)議員の質問にこう答えています。 ”学会やらあるいは学術集団から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にすぎません。したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば ” 更に同じ日、手塚政府委員(当時は政府委員と言って、官僚が大臣の代わりに答えることができました)がこうも述べています。 ”私どもは、実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するということは考えておりません。  仕組みをよく見ていただけばわかりますように、研連から出していただくのはちょうど二百十名ぴったりを出していただくということにしているわけでございます。それでそれを私の方に上げてまいりましたら、それを形式的に任命行為を行う。これが実質的なものだというふうには私ども理解しておりません。”  まあ、ちょっと解釈の余地がないほど明確な答弁なわけですが笑 この解釈に沿って考えると今回の内閣の任命拒否は明確に違法なわけです。

解釈は変えていない?

 実は、先日も野党ヒアリングが行われて解釈変更があったのかを問われているわけですが、解釈を変えてないと内閣府と内閣法制局は答弁しています。  何を言っているかというと、「形式的な任命行為を行う。実質的なものではない」という答弁は、「必ずそうしなければいけないというわけではない」から、実質的な任命行為を行っていい、と。こう政府は答弁しているわけです。  これは無茶苦茶な話で、こんな答弁がまかり通るんであれば、どのような趣旨の答弁であれ、「必ずそうしなければいけないというわけではない」というロジックは使えるので、政府の答弁はすべて後でいくらでもひっくり返せる、という事になってしまいます。  いや、それどころか、法律に書いてあることですら、「法律にはこう書いてあるけど、必ずそうしなければいけないというわけではない」ということで、好きなことをできてしまいます。  はっきり申しますけども、そこまでの案件じゃないです。日本の法治国家としての根幹を壊して、法的安定性を犠牲にしてまで、すすめる話じゃないんです。
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勝手な解釈変更は「国会」の破壊行為
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