安倍政権の延命を支えてきた不誠実答弁手法「ご飯論法」に今こそ訣別を

安倍首相のご飯論法

国会パブリックビューイングのYou Tubeチャンネルより

 第201回通常国会の会期末となった6月17日に、参議院の小西洋之議員は「安倍総理らのいわゆるご飯論法による国会答弁についての認識に関する質問主意書」(質問第188号)を提出し、6月30日に答弁書が送付された。  この記事ではこの質問主意書と答弁書の内容を紹介したうえで、次の政権の担い手とそれを支える官僚たちに対し、「ご飯論法」に頼る不誠実な答弁姿勢とは訣別することを求めたい。

結果の重視とプロセスの軽視

 8月28日の辞任表明の記者会見で、安倍首相はこう語った。 「政治においては、最も重要なことは結果を出すことである。私は、政権発足以来、そう申し上げ、この7年8か月、結果を出すために全身全霊を傾けてまいりました」* 〈* 2020年8月28日安倍内閣総理大臣記者会見|首相官邸〉  この発言について、当日夜のTBSラジオ「荻上チキ・Session-22」でプチ鹿島氏は、「結果」の裏返しである「プロセス」の不透明さが、安倍政権においては常に指摘されてきたことを指摘した。  自らが出したい「結果」のために、「プロセス」は顧みない。抱き合わせ一括法案の形を取った法案提出、都合よく歪曲されたデータの恣意的な利用、審議時間を積み重ねるためのくだくだしい説明の繰り返し。そういう手法とあわせて国会答弁で横行したのが、質問とかみ合わない意図的な論点ずらしの答弁手法である「ご飯論法」だ。 「朝ごはんは食べなかったんですか?」との問いに、「ご飯は食べておりません」と答えて何も食べていないかのように装い、パンを食べていたという不都合な事実には決して触れずにおく――このような比喩で加藤勝信厚生労働大臣の働き方改革関連法案審議における不誠実な答弁ぶりを筆者がツイッターで問題提起したのは2018年5月6日のこと。翌日の5月7日にブロガーの紙屋高雪氏がこれを「ご飯論法」と名づけ、筆者が積極的にその名を拡散したところ、5月16日の厚生労働委員会における西村智奈美議員の発言を皮切りに、国会審議においても「ご飯論法」という言葉で意図的な論点ずらしの不誠実答弁が問題視されるようになった(国会会議録における表記は「御飯論法」)。 〈参照:高プロの「異次元の危険性」を指摘した小池晃議員に、「#ご飯論法」で否定してみせた加藤大臣は、辞任を(上西充子) – Y!ニュース (2018年5月20日)〉  野党の質疑に対し、あえて気づきにくい巧妙な論点ずらしの答弁を行う。それによって、野党が指摘する問題点に向き合うことを回避する。一見誠実そうな答弁によって、野党議員を煙に巻き、言質を取らせない。あえて質疑をわかりにくくし、ニュース映像で争点として紹介されることも回避する。  要は「ご飯論法」とは、審議時間を無駄に潰しながら、野党の質疑に誠実に答えているかのように装う手法であり、政府の国会軽視の姿勢が露骨に表れたものと言える。そのような意図的な論点ずらしの答弁が国会審議で横行していることに、メディアは適切に光を当てることができていなかった。「ご飯論法」という命名は、その問題に適切に光を当てる役割を果たしたと言える。  2018年のユーキャン新語・流行語大賞の「トップ10」に選ばれるなど、「ご飯論法」の認知度が高まるにつれて、国会審議を見守る者も「また『ご飯論法』だ」と気づきやすくなった。質疑に立つ野党議員も、質疑の仕方や答弁の内容により注意深くなったかもしれない。

安倍首相に「ご飯論法」を解説した小川淳也議員

 では「ご飯論法」という問題提起によって政府の答弁姿勢は変わったのか。安倍政権においては、残念ながら変わらなかった。「名づけて退治」を目指した言葉だったが、退治にはほど遠い。  実は安倍首相は、2020年2月5日の衆議院予算委員会の場において、小川淳也議員から「ご飯論法」という言葉を知っているかと問われ、「存じ上げません」と答弁している。「桜を見る会」への招待者名簿や推薦者名簿が残っていないとしても、後援会名簿の中に推薦を確認できる記録はあるはずだと問うた小川議員に対し、安倍首相が不誠実な論点ずらしの答弁を続けた、その際のことだ。  このときのやり取りを見ていただければ、これは到底「聞き方が悪い」という問題ではなく、安倍首相の側に誠実に答える意志がない答弁であることは分かっていただけるだろう。そしてこの予算委員会の場で小川議員は、安倍首相に「ご飯論法」とは何かを説明している。 ●小川淳也議員  この名簿(引用者注:「桜を見る会」に関する名簿のこと)の破棄が、もう今は決定的に検証のしようをなくしています。検証しようがない。私に言わせれば、公文書管理法違反、その趣旨にもとると感じています。  では、先週お尋ねしたことで、私も前回だまされたんですよ、総理。私は、たとえ名簿を廃棄していても、総理事務所には後援会の本体名簿が残り、そこには誰を推薦したか記録が残っているはずだとお聞きしました。ところが、巧妙に総理の答弁は、後からよく確認したんですが、招待者を確認できる名簿は作成していないという、極めて巧妙なすれ違い答弁を連発されたわけです。  私が聞いているのは、推薦を確認できる記録があるでしょうと聞いています。総理は、招待を確認できる名簿は作成していないと答弁しました。巧妙にすりかえている。  もう一回聞きます。総理の事務所には、当然ですよ、これはみんなわかっている、それぞれ後援会活動をやっているんだから。総理の事務所には、たとえ政府が名簿を廃棄しても、推薦者を確認できる記録が残っていますね。 ●安倍晋三首相  先ほど、安倍政権の間に二千数百人招待客がふえた、これは官房長官が答弁させていただいたように、我々も反省しなければならない、こう思っておりますが、ただ、例えば、中曽根政権においても、最初6,400名だったものが8,025名……小泉政権においても、7,800名だったものが10,450名で……それぞれ二千名近くふえているわけでございます。ですから、政権が長くなるにつれて……いや、事実については事実として述べさせて……済みません、ちょっと。  それでは答弁させていただきますが、今、事実を申し上げたわけでございまして、そういう経緯もあったということでございます。  その上で申し上げれば、招待客あるいは推薦者についても、それを確定できる名簿は残っていないということでございます。確定するいわば名簿をつくっていない…… それは今まで答弁をさせていただいていることと同じことでありまして、それは、招待者と推薦者はこれは同じ、同じというか、推薦者が招待者そのものになったわけではございませんが、そのもととなる推薦者についても同じことでございます。 ●小川淳也議員  官房長官は、反省しています、それ以上は言わなかったんですよ。総理は、反省していますが、が必ずついてくる。ここなんですよ、総理。ぜひお願いしたいと思います。  それで、もう一回お聞きしますよ。推薦を確認できる記録は総理の事務所にはありますよね。名簿とは聞いていません。招待とも聞いていません。推薦を確認できる記録は必ず残っていると思うんですが、ありますよね。 ●安倍晋三首相  推薦を確認できる名簿は、それは残っておりません。 ●小川淳也議員  もう、私どもも捜査機関ではありませんのでこれ以上は限界がありますが、ただいまの御答弁は、みんな、はあ、なるほどと受けとめた人は、たとえ与党にも閣僚にも一人もいないと思いますよ、総理。ぜひ閣僚の皆様には、今日基本質疑最後です、御自身のリーダーはどういう答弁をされる方なのか、霞が関の官僚の皆さんは、皆さんの大親分は、この国の政治指導者は、みずからに降りかぶった不利益とどう向き合う人なのか、よくこの答弁を、その背中を見ていただきたいと思います。  その上で、こういう答弁は、総理、私、先週、ついうっかり、御飯論法ですねと言ってしまったんですね。きょうは、ちょっと確認、お聞きしなきゃと思っているんですが、総理は御飯論法という言葉は御存じでしたか。 ●安倍晋三首相  私は存じ上げません。 ●小川淳也議員  これは、安倍政権、閣僚の答弁のひどさに、ある大学の先生、実名を挙げてもいいと思いますが、法政大学の上西先生が命名された言葉なんです。御飯を食べましたかと聞かれる。例えば、例ですよ、例えですよ、総理、その人はパンを食べていたとする。しかし、米は食べていない。御飯は食べていませんと答える類いの話なんですね。  これは、あえて私がちょっと詳細に説明、補足すべきかどうかはあれですが、日本語で一般に御飯というと食事を指します。しかし、何らかの事情で、食事をとったことがばれたくない、聞かれたくない人は、あえてそれを米だと狭く解釈します。それによって、聞かれたくないこと、答えたくないことを言いはぐらかし、ごまかし、時に隠蔽し、時に実態を闇に葬る。極めて悪質な答弁法です。これが、安倍政権の閣僚の答弁ぶりを嘆いた大学教授が命名したんです。  この推薦も招待も、そして名簿も記録も、あるかないかも、作成しているかしていないかも、全て同じ、微妙に言葉をすりかえ、真実を覆い隠す、そういう方法がとられています。このこと自体が、いかに総理にとって不都合かということを示す何よりの証左です。  
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小西洋之議員の質問主意書の答弁書すらも「ご飯論法」だった!
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