知らぬ間に私たちを縛る「呪いの言葉」。抗う術はオンラインでも身に付けられる

自分を主語にしない「切り返し方」を考える

 「嫌なら辞めればいい」という「呪いの言葉」を例にあげて考えたように、多くの「呪いの言葉」は、「それは、あなたの問題だ」と思わせる。だから、「切り返し方」を考えるときには、自分を主語にせず、相手に問い返す表現を考えてみよう。これは私の問題ではなく、あなたの問題だ、という認識にたどり着けるように、「あなた」の側が考えて答えなければいけない問いの形をとってみるのだ。  例えば「嫌なら辞めればいい」という「呪いの言葉」に対して、「ひどいことをおっしゃいますね」と答えると、それは「私」の気持ちの表明になってしまう。「辞めるわけにはいかないんです」と答えると、それは「私」の事情の説明になってしまう。そうではなく、「あなたがパワハラを辞めれば済む話ですよね?」とか、「そうやっていつも、黙らせてきたんですか?」といった「切り返し」を考えてみるわけだ。  そうすることによって初めて、「嫌なら辞めればいい」と言い放った側が、いかに都合よく、自分の側の問題から話を逸らして、相手の側の問題にしようとしているかが見えてくる。そして、言われた側は、「私が悪いわけじゃないんだ」と気づけるのだ。  ヒール・パンプスの職場での強制をやめるように求めた署名活動「#KuToo」に対しては、「ヒールを履かずに済む職場なんて、いくらでもあるだろ」といった「呪いの言葉」がテンプレのように繰り返し浴びせられた。この言葉に対し、「私はここで働きたいんです」と反論するのも悪くはないが、それだと自分を主語にした言い方だ。そうではなく、相手に問い返す表現を考えてみよう。「あなたは職場でヒールを強制することに賛成なんですか」と問う形にすると、相手が都合よく話を逸らしていたことが可視化されてくる。  「野党は反対ばかり」もそうだ。「賛成している法案の方が多いんですよ」と野党側としては言いたくなるだろうが、「こんなとんでもない法案に、なぜあなたは賛成なんですか」と問うてみる。そうすることによって、相手に、本来の問題に向き合わせることができる。  つまり、相手に問う形を取ることにより、これは「私の問題」ではなく「あなたの問題」であることを明らかにすることができ、都合よく話を逸らして黙らせようとしている支配・抑圧の構造を可視化させることができるのだ。  したがって、「呪いの言葉」への「切り返し方」を考えてみる際には、次の4つがポイントとなる。 ● 相手の土俵に乗らない(思考の枠組みを支配されない) ● 相手が何から話を逸らそうとしているかを考える ● 問いの次数を繰り上げる(状況を俯瞰する) ● 相手に問いを返していく。自分を主語に語らない  なお、問いの次数を繰り上げる、というのは、相手の問いをそのまま受け止めてしまわずに、そう問うことによって相手は何をねらっているのか、と考えることだ。例えば「ヒールを履かずに済む職場はいくらでもあるだろ?」という問いに対しては、「確かにそうだけれど……」と考えてしまわずに、「なぜそういう言葉を相手は私に投げてくるのか」と問うことだ。

グループで「切り返し」を考えるにあたって

 さまざまな「呪いの言葉」に呪縛されずに済むようになることが当面の目的であり、1つ1つの「呪いの言葉」に対する「切り返し方」を「正解」のように「知る」ことが目的ではない。だからこそ、「呪いの言葉」に対する「切り返し方」を誰かと一緒に考えてみることに意味がある。そのプロセスを通じてこそ、自分の思考が解きほぐされていくからだ。  では、どのような方法を取ればよいだろうか。  筆者がこれまで行ってきたのは、付箋とサインペンを用いたグループワークの方式だ。下記の写真はその一例で、テーブルを4人程度で囲んで、1つの「呪いの言葉」に対する「切り返し方」をそれぞれが考えて付箋に書き込み、貼っていき、共有して意見交換する方式だ。
付箋に書き込まれた切り返し方

1つの「呪いの言葉」に対する「切り返し方」をそれぞれが考えて付箋に書き込み、貼っていき、共有して意見交換する

 実際にやってみると、案外難しいようで、なかなか何も思いつかない人も多い。必ず全員が書かなければいけない、という形にはせず、何人かの人が考えた「切り返し方」をグループで「味わう」ぐらいでよいと思う。  また、いきなり「切り返し方」を考える前に、例えば「嫌なら辞めればいい」という「呪いの言葉」が「お題」として出されたら、「こういう時に言われそうだよね」「私、言われたことがある」など、その言葉をめぐってフリー・ディスカッションをする時間を設けると、よりイメージが膨らんでよいだろう。  同時に、すべての「切り返し方」を論評するよりも、「それ、いいね!」「あ、そうか、そうだよね、言われてみれば」など、「よい切り返し方」に着目するのがよいと思う。グループワークを通じて各自の思考が各自のペースでほぐれていくことが目的なので、「それは違う! あなたが書いたものこそ、呪いの言葉だ!」といった相互にとげとげしい雰囲気になることは避けたい。楽しみながら参加できることを大切にしたい。  「呪いの言葉」は、主催者(ファシリテーター)がいくつか考えておき、それらについて「切り返し方」を出し合ってみた後で、今度は参加者側から「こんな『呪いの言葉』もある」と出し合ってもらい、その中のいくつかに対しても一緒に「切り返し方」を考えてみると、そのグループならではの問題関心に合わせた展開が期待できるだろう。  筆者が労働組合の方々を対象にグループワークを行ったときには、「前例がない」という言葉が身近な「呪いの言葉」として、参加者の中から提示された。親子関係であれば、自分が言われてきた言葉を出すこともできるし、そういうものを出し合う中で、自分が子どもに対して言ってしまっている言葉に気づくこともあるだろう。
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