知らぬ間に私たちを縛る「呪いの言葉」。抗う術はオンラインでも身に付けられる

「呪いの言葉」とは

 「呪いの言葉」とは、それを言われた側の思考の枠組みを縛ってしまう言葉を指す。『呪いの言葉の解きかた』では、「相手の思考の枠組みを縛り、相手を心理的な葛藤の中に押し込め、問題のある状況に閉じ込めておくために、悪意をもって発せられる言葉」としてみた。  例えば「嫌なら辞めればいい」という言葉がそうだ。「嫌なら辞めればいい」と言われると、「辞めるのか、辞めないのか」という選択肢を前に考え込んでしまう。一見、もっともらしい言い方であるために、「確かにそうだのだけれど……」と考えてしまい、「でも、辞めるわけにはいかない。だったら、ここは黙って従うしかないのか」という方向へと、自分の考え方が誘導されてしまうのだ。「呪いの言葉」を投げかけられた側が、相手にとって都合がよい土俵の上に、知らず知らずのうちに乗せられてしまう。「ふざけるな!」といった罵倒の言葉とは、そこが違う。  「嫌なら辞めればいい」と言われても、「はぁ!? 何を言ってるんですか」と、最初からその言葉を受けとめない人もいる。けれども多くの人は、そのような「呪いの言葉」を正面から受けとめてしまう。そして「辞められないので文句は言えない」と考えてしまう。  このように、相手を自分の都合のよい方向へと黙って従わせるための言葉が、世の中にはあふれている。「辞めるなんて無責任だ」(労働)、「母親なんだからしっかり」(ジェンダー)、「だから言ったでしょ」(親子関係)、「デモに行く暇があるなら働け」(政治)、等々。  それらの言葉は当たり前のようにあふれている。私たちは深く考えることなくそれらの言葉を自分でも口にしていることがある。そして、無意識のうちに内面化してしまっている。不満があっても「文句は言えない」と、「文句」を嫌う相手の目線を想像して黙ってしまったり、「出る杭は打たれる」と、なにかを口にする前から自制が働いて黙ってしまったりする。  また、黙らせることではなく、分断を促すことが目的の「呪いの言葉」もある。「だらだら残業」という言葉は、「だらだらと働いて残業代をもらっているあの人はずるい」という気持ちを呼び起こし、労働者の連帯を阻み、分断を促す。「女の敵は女」も同様だ。  他方で、悪意なく口にした言葉が相手を縛ってしまうこともある。「あなたなら、東大合格まちがいなしよ」と息子を励ましてみたり、「自慢の娘です」と娘を紹介してみたりするとき、その人に悪意はない。けれどもそのような言葉が、それを耳にした子どもの側からすれば、自分の生き方を縛ってくるもののように感じられることがある。  

「呪いの言葉」への「切り返し方」を考えてみる意味

 このような「呪いの言葉」が世の中にあふれていることに気づき、そういう言葉に無意識のうちに私たちが思考を縛られていることに気づき、意識的にその呪縛から逃れるために行うのが、「切り返し方」を考えるワークショップだ。「呪いの言葉」を投げかけられたらどう切り返すか、そのアイデアを一緒に出し合ってみるものだ。  ここで気をつけていただきたいのは、これは「思考の柔軟体操」であって、「実際にこう切り返せばいい」という言葉を考えるものではない、ということだ。ワークショップを実際にやってみるときには、この点は必ず、参加者の方々と共有していただきたい。  「切り返し方」を考えるこのワークショップは、「呪いの言葉」を投げる側と投げかけられる側がおかれている支配・抑圧の構造を認識するためのものであって、実際にその支配・抑圧から逃れる手法ではない。「切り返し」の言葉が「魔法のお札」のようにその支配・抑圧の構造をたちまち打ち崩す、ということはあり得ないし、「切り返し」の言葉を実際に口にすることによって、相手が激高するなど、問題がより深刻化する恐れもあるので、その点は特に注意が必要だ。  では、実際に口にするわけではない「切り返し方」を考えてみることには、何の意味があるのか。いろいろな意味がある。  まず、メンタルを病むことへの予防になる。「呪いの言葉」を正面から受け止めてしまうと、「もう、どうすることもできない」「黙って従うしかない」「声をあげたら潰される」という心理状態に追い込まれる。けれども、そういう心理状態に追い込むことを目的として意図的に投げられている言葉だということに気づけば、その言葉を正面から受け止めずに済む。  そして、「切り返し」の言葉を考えることによって、問題は自分の側にあるのではなく相手の側にあるのだということが認識できる。その認識のうえで、ではどうすればよいか、具体的な問題解決に向けて、専門家に相談するなど、落ち着いて、具体的な行動に乗り出すことができる。  「自分が悪いんだ」「もう、どうしようもないんだ」という心理状態に追い込まれていると、身動きが取れなくなり、具体的な対処行動に乗り出せない。心の余裕が確保できて初めて、人に相談する、という行動に動ける。そして、問題の構造が認識できれば、誰に相談すればよいのかが見えてくる。それは労働組合であるかもしれないし、弁護士であるかもしれないし、警察の相談窓口かもしれないし、NPOかもしれない。問題の中身によって、相談すべき相手は異なる。  筆者が『呪いの言葉の解きかた』を執筆したのは、そのように何らかの行動を起こせば状況は改善できる可能性があるにもかかわらず、行動を起こすことを阻む「呪いの言葉」が意図的に流布されていることへの問題意識を発端としていた。  テンプレな「呪いの言葉」が氾濫し、抑圧を受けている側がその言葉に心理的に呪縛され黙らされている状態が蔓延していることを直視し、その状態を丁寧に解きほぐしていかなければ、いくら「声を上げる」ことが重要だと言われても、声をあげにくい状況は変わらないと考えたのだ。  従って、「切り返し方」を考えてみることは、単に「頭の中でこう考えてみれば、スルーできますよ」というアドバイスではない。何らかの行動を起こすためにも、心理的に支配されることを避けることがまずは重要だと考えているのだ。
次のページ
自分を主語にしない「切り返し方」を考える
1
2
3
4