©POLO-EDDY BRIÉRE.
バングラデシュからパリに逃れた政治難民の少年がチェスのチャンピオンになるまでを実話を元に描いた
『ファヒム パリが見た奇跡』が、8月14日からヒューマントラストシネマ有楽町他全国の劇場で公開されています。
政変が続くバングラデシュ・ダッカ。親族が反政府組織に属していたことに加え、ファヒム(アサド・アーメッド)がチェスの大会で勝利を重ねていたことへの妬みが原因で、一家は脅迫を受けるようになっていた。身の危険を感じた父親は、わずか8歳のファヒムを連れてフランス・パリへと脱出した。
難民センターに身を寄せた父子は、フランスでも有数のチェスのトップコーチであるシルヴァン(ジェラール・ドパルデュー)と出会う。独特な指導をするシルヴァンにはじめは苦手意識を持つファヒムだったが、厳しくも愛情あふれた熱心な指導に、次第に心を開き、チェスのトーナメントを目指して信頼関係を築いていく。
一方で、難民申請を却下されたファヒムの父親は、身の置き所がなくなり姿を消してしまう……。迫りくる強制送還までのタイムリミット。その脅威から逃れる解決策はただ一つ。ファヒムがチェスのフランス王者になることだった――。
今回はこの映画の主人公のモデル、ファヒム・モハンマドさんにお話を聞きました。
※パリ在住のファヒムさんに電話にてインタビューを実施しました。
ファヒムさん
――チェスをやり始めたきっかけについてお聞かせください。
ファヒム:私がチェスをやり始めたのは5歳の時です。父親が元々チェスを好きでチェスクラブに通っていたのですが、自分もそこに行き始めてやるようになりました。6歳でチェスのトーナメントに出場し、チャンピオンになりました。
――父親のヌラ・アラムさんは政治運動のために弾圧を受け、また、ファヒムさんがチェス王となり有名になったことも相俟って、自宅には脅迫状が届いていたとのことでした。政治的弾圧を逃れるため、まだ8歳だったファヒムさんはヌラさんと一緒にバングラデシュを出国しますが、そのことを当時のファヒムさんはどう思っていましたか?
ファヒム:映画では異なる描かれ方をしていますが、チェスのチャンピオンになるためにパリに行くのではないということだけはわかっていました。はっきりとは理解していませんでしたが、何かしら命の危険が迫っていて祖国を出ざるを得ない事情があるということは感じていました。
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最初はインドまで密航して、その後ハンガリーを経由してパリに渡りました。まだ小さかったので、覚えていませんが、バングラデシュからパリに辿り着くまで数週間は掛かったと思います。
――驚異的なスピードでフランス語を習得したことがわかるシーンが登場しますが、どのようにしてフランス語を勉強したのでしょうか。
ファヒム:パリに着いてから難民センターに身を寄せて滞在許可が下りるのを待っている間、難民支援団体による語学学習のサポートがあって4ヵ月で現地の小学校に入ることができました。
フランス語を早く学べたのは若かったからだと思います。フランス語を学ばないと退屈してしまう状況だったんですね。学校で友達と遊ぶためにも学ばざるを得ませんでした。難しいかもしれませんけど日本語も学んだら面白いかもしれないと思っています。