16年経っても消えぬデマが示す「事実に対する誠意と倫理観」が揺らぐ日本社会の現実

軍や警察が「スパイ容疑」で拘束するのは“職務質問”程度のこと

 また、私がシリアで拘束されている間に、ネット上ではイラク戦争が始まった2003年以降に私がイラクで軍や警察に計2回拘束されたことを含めて年表にされて広められた。 「何度も拘束されて毎回解放されているのはおかしい」と自作自演を疑われたり、「これほど拘束されているのはギネス級だ」などと笑いものにされたり、テレビの情報バラエティ番組でも「この人は何回も捕まっているんですねえ」と紹介してタレントたちが呆れてみせるといった取り上げ方をされた。「何回も人質になっている」と言っているのは、これらの拘束まで「人質」だと信じた人々だろう。  軍や警察による拘束については、日本大使館が2週間以上前にイラクを去った後のイラク戦争の最中のことだ。いずれも2~3時間程度で解放され、旅券も機材も金も一切奪われることなくそのまま取材を続けて予定どおりの日程で帰国した。その間もその後も、私にも家族にも日本やその他の国の外務省や警察などからの連絡はまったくなかった。  当然、報道もされていない。つまり、“職務質問”程度のものである。いちいち軍や警察が日本政府に連絡することもない。こうした拘束はほぼ「スパイ容疑」だが、疑いが晴れれば解放されるだけのことだ。軍や警察のこの程度の拘束すら絶対に避けなければならないなら、現場に記者は1人もいなくなるだろう。  もしも日本政府やその他の誰かが救出していれば、そのまま取材を続けられるということはありえないし、本人にも家族にも連絡がないのもありえない。また、もしも政府が解放に関与していれば、見せしめのように必ず発表し報道されている。日本政府がこれらの拘束があったことすら認知しておらず、交渉した、救出したということもないのは間違いない。

戦場の現実を「異常」なものととらえ、集団で叩き嘲笑する人々

イスラム法学者

2004年の拘束事件について「日本人をスパイの疑いで捕まえたが容疑が晴れたので解放した」と証言するイスラム法学者=2014年5月2日、イラク・アブグレイブ

 これらの拘束は私の著書やブログなどで自ら公開してきたものだ。海外、特に紛争地においては武装組織や軍、警察に拘束されることは日常茶飯事で、街を歩いているだけ、カメラを持っているというだけで連行されることもある。  そうした地域に駐在する大手メディアの記者の中には、1年間だけで何回も経験している人もいる。現場ではごく当たり前のできごとだ。それを公にする人はほとんどいないが、取材現場の実態のひとつとして自分の経験を記してきたつもりだった。  しかし、これが仇になった。できるだけ編集をせずに細かい情報を公開していくことで、無数の人々が参加するネットの世界では現実に即した情報分析がされていくと無邪気に思っていた。  だが現実には、紛争地の現場では珍しくないものを“平和”な日本の感覚で「異常」ととらえ、やりたい放題デマを膨らませながら「異常」なものを集団で叩き、嘲笑する声のほうが圧倒的に大きかった。  そうした人たちは全体の中の割合としてはさほど多くはないかもしれないが、わざわざネットに書き込むのはそうした人たちだ。そこに便乗して名を売ろうとする人々が事実誤認やデマの記事を書き、それを「世論」と考える一部の既存メディアはタレントたちを使って吊し上げに加わりさらに人々を煽る。  もはや「事実なんかどうでもいい」という状態で、これは私の件だけでなく、日常的に繰り広げられている光景だ。
次のページ
「事実に対する誠意と倫理観」が揺らぐ日本社会
1
2
3
シリア拘束 安田純平の40か月

2015年6月に取材のためシリアに入国し、武装勢力に40か月間拘束され2018年10月に解放されたフリージャーナリスト・安田純平。帰国後の11月2日、日本記者クラブ2時間40分にわたる会見を行い、拘束から解放までの体験を事細かに語った。その会見と質疑応答を全文収録。また、本人によるキーワード解説を加え、年表や地図、写真なども加え、さらにわかりやすく説明。巻末の独占インタビューでは、会見後に沸き起こった疑問点にも答える