16年経っても消えぬデマが示す「事実に対する誠意と倫理観」が揺らぐ日本社会の現実

イスラム教シーア派の有力組織サドル師派の事務所

イスラム教シーア派の有力組織サドル師派の事務所=2004年4月9日=イラク・バグダッド

 前回、情報公開請求で安田純平氏が「何度も人質になった」かのような事実はなく、大手メディアを含むネットで蔓延っているそれらの言説が明確なデマ・誹謗中傷であることが明らかになった。  第2回となる今回は、16年経っても消えないそれらのデマが、安田氏に、そして日本社会にどのような影を落とすのかについて語ってもらった。

拡散されたデマは16年が過ぎても消えることはない

 2004年当時から、私は自分の著書などで「人質ではないスパイ容疑の拘束だった」と事実をもとに説明してきた。当初、「人質」と表記していた大手メディアも、しだいに「人質」とは書かず、「拘束」と表現するようになってきていた。「人質」であることを示す事実関係が何一つないことを大手メディアも認識しているからだ。  それでも「人質」と報じたメディアは自らの報道を何ら検証せず、事実上の誤報が訂正されることもなく世の中に残されている。拘束組織からの接触や要求が「ない」ことは証明しようがないから、「人質ではなかった」とは訂正できないわけだ。  だからこそ「ある」という根拠がなければ報道すべきではないのだが、直前の3人の人質事件の騒ぎの中で、メディアが持つべきそうした倫理観は吹き飛んでしまっていた。 「何度も人質になっている」というデマの発端が、2004年のイラク拘束なのは間違いないだろう。いくら反論したところで一度流れたデマは消えることはなく、何度でも蒸し返されて、さらにデマがデマを呼ぶかたちでエスカレートし拡散されていく。事実を粛々と提示し続ければデマを払拭できるとかつて私は信じていた。16年が過ぎ、それが幻想にすぎないことを理解した。

「人質報道」のおかげで「日本人を人質にすれば身代金を取れる」と思われるようになった!?

 デマは、本人の感情を損ねるというだけの問題ではすまない。  2015年6月23日未明にシリアに入った私は、取材の受け入れが決まっていた組織とは違う組織に接触してしまい、スパイ容疑をかけられて拘束された。容疑は2日ほどで晴れ、そのまま解放される可能性もあったが、2004年のイラクでの拘束が「hostage(人質)」と海外メディアに報じられていたことを知った彼らは、「日本政府から身代金を取れる」と考えて私を人質にすることに決めた。  拘束組織は日本政府への接触を試みたが相手にされないため、半年を過ぎたころから私の動画や画像を公開し始めた。撮影の際、彼らのひとりは私に「日本は身代金を払う。なぜならイラクで人質だったお前が生きているのは身代金が払われたからだ」と言った。  イラクでの拘束を最初に報じたのは日本メディアであり、海外メディアまで根拠を示すことなく「hostage(人質)」と書いたのは日本メディアの報道をそのままなぞったからだ。日本メディアはその後、「人質」とは書かなくなったが、インターネット上に残った「hostage」の文字が消えることはない。 「人質」という虚偽の情報、デマが流された結果、世界中の相当数の人々が「日本人を人質にすれば身代金を取れる」と考えるようになっていると考えられる。人を拘束して監禁する事件は、世界でも特に治安が良いとされる日本でも発生する。  人質にされる危険性があるのは紛争地だけではない。事実誤認や虚偽の情報、デマによって全ての日本人が危険にさらされるということを、日本政府も日本国民も認識しておくべきだ。
次のページ
戦場の現実を知らず安全圏から嘲笑だけする人々
1
2
3
シリア拘束 安田純平の40か月

2015年6月に取材のためシリアに入国し、武装勢力に40か月間拘束され2018年10月に解放されたフリージャーナリスト・安田純平。帰国後の11月2日、日本記者クラブ2時間40分にわたる会見を行い、拘束から解放までの体験を事細かに語った。その会見と質疑応答を全文収録。また、本人によるキーワード解説を加え、年表や地図、写真なども加え、さらにわかりやすく説明。巻末の独占インタビューでは、会見後に沸き起こった疑問点にも答える