デモ、暴動、正義。BLMに賛同し政治化するポップスターたちの訴え。

「Who’s Policing the Police?(警察を取り締まるのは誰?)」

 2018年のブリット・アワーズで2部門受賞、昨年のグラミー賞で最優秀新人賞を獲得したデュア・リパも積極的にBLMについて行動している一人で、ロンドンでのデモに「Who’s Policing the Police?(警察を取り締まるのは誰?)」というプラカードを掲げて参加している。  重要なのは、私たちは、たとえば選挙に行って政治家を選ぶということは一応できる。けれど、警察が仮に暴走したとして、誰が直接それを正すことができるのかという現実があるのだ。また、彼女が黒人のトランス女性のために安心して継続して居住できる住居を求める趣旨の動画をインスタグラムに上げているのも注目したい。  

警察の解体を求める声も

 運動総体としてのBLMが求めているものの中には刑務所や警察の廃絶といったものもある。略奪、デモ隊の暴力……そのような報道も多く流される中、「Defund the Police(警察に予算を出すな)」という訴えがあるのはなぜだろうか。  日本的な感覚だと、なぜ「暴徒」がいるのに、警察に予算を出すな、という要求が出るのか?なぜ事件が発生したミネアポリスで、警察が「解体」されることになったのか?と感じるかもしれない。  不思議といえば不思議だが、たとえばアメリカ社会において、黒人は“警察に守ってもらうのではなく、監視され、攻撃される対象”という差別的な社会構造が根強く存在しているため、今回の事件のようなことになる。警察と黒人の緊張関係には根深いものがあるのだ。  デモの一部が暴徒化、略奪を働いたというのもそうなのだろうが、警官の一部が殺人者である、というのもまた事実。BLMはたとえば黒人を貧困やそれに関連する暴力から脱出させるためにも、警察や刑務所に予算を割くのではなく、彼(女)らの衣食住の保証などコミュニティのために使われるべきと主張している。  関連して言えば、ナタリー・ポートマンが、警察の予算削減について、当初は警察の予算が削られるのを恐れたが、白人女性である自分は警察に守られるが、一方で警察による死は黒人男性の死因の6番目であること、警察に守られるのは白人の特権であるといった趣旨の発言をインスタグラムに上げているのは興味深い。
 このうねりは当分終わりそうにない状況だ。 <文/福田慶太>
フリーの編集・ライター。編集した書籍に『夢みる名古屋』(現代書館)、『乙女たちが愛した抒情画家 蕗谷虹児』(新評論)、『α崩壊 現代アートはいかに原爆の記憶を表現しうるか』(現代書館)、『原子力都市』(以文社)などがある。
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