デモ、暴動、正義。BLMに賛同し政治化するポップスターたちの訴え。

平和な抗議と騒乱、暴動、略奪がシームレスになっている

 今回の事態においては、平和的なデモと騒乱状況がシームレスになっている、ということが透けて見える。プラカードを持ちながら歩いている人がいる一方で、店のガラスを壊し、スーパーマーケットなどから商品を奪っていく人もいる。    警官からも膝を屈しデモ隊に合流する者が出たり、アトランタでは州兵とデモ参加者が一緒にマカレナを踊ったりと、警官たちも状況によっては警備を放棄したり、または抗議する側に合流してしまう状況である。一方で昂ぶった警察が歩行者を突き飛ばしていく映像も流れた。カオス。  しかし、状況を総体で俯瞰すると、あれは平和的だからOK、あれは暴動だからダメ、あれは略奪だから犯罪、と簡単に分けるのは難しいのではないかと思わせる。平和的」なデモの中にも「ACAB=All Cops Are Bastards=全ての警官はクソ野郎」というプラカードも散見される。  街頭での行動が平和的か暴力的かをそう簡単に仕分けることができないことを身をもって表現したのが女性歌手のホールジーだ。  街頭でホールジーが参加していた一群は警察によるゴム弾と催涙ガスの攻撃を受けたという。彼女は、要するに「向こうから仕掛けてきた」のだとツイートしている。またデモにおいて彼女は、実際に負傷者の救護も行っている。  また彼女の作品でも、ブロンディのデボラ・ハリーが出てくる「Nightmare」などMVに街頭騒乱のイメージが前面に出てくる。  「Nightmare」は性暴力とそのカウンターがテーマである。女性に対する抑圧や暴力と向き合ってきたホールジーにとって、そうした性暴力や女性への抑圧に対して抵抗するときに、ときに“暴力”を伴う場合があることを否定はしてないことを指摘しておきたい。

「クソ野郎たちはそれでやっと私たちの声を聞く」

 「略奪」の問題については、ラッパー・カーディ.Bの動画が指摘したことも述べておこう。  「人々が略奪をして、激怒しているのを見て、私もそう、という気分になるし、クソ野郎たちはそれでやっと私たちの声を聞く」と。  普段低賃金で低待遇だったりする人間が、略奪があってはじめて収支が赤字なのをいくらか取り戻す、というか、普段から下層の労働者は新自由主義的な状況のもとで、常に自らの様々な資源を略奪されているのだ、ということ、大騒ぎしてやっとそのことに世間が気づくのだ、ということを彼女が指摘している。  当然、略奪される方は喜ぶ話ではないだろうが、社会の分断の根は深い。
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「Who's Policing the Police?(警察を取り締まるのは誰?)」
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