検察庁法改正案への抗議の声に水を差す人が知っておくべき、今改正案の問題点

国家公務員法と検察庁法がなぜ分かれているか

 そもそも、国家公務員の定年自体は国家公務員法により定められています。ではなぜ、国家公務員法とは別に検察庁法において規定が定められているかというと、検察が政府から一定の独立性を担保するためです。  検察庁法の十四条に下記のような条文があります。
“法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。 これは、個々の事件に関して政治の介入を妨げるための規定です。“
 大前提として言えば、検察は行政府に属する機関です。検事総長の任命権者は内閣であり、法務大臣の指揮権のもとにあります。つまり、いわゆる「三権分立」の問題から言えば、同じ行政の話です。  では、なぜこの問題が「三権分立の問題」として語られているのでしょうか。それは、日本における検察の役割は、実質的に司法権まで踏み込んでいるといえるからです。

なぜ検察が司法権の一部を担っていると言えるのか

 日本の起訴後有罪率は99.9%。起訴されればほぼ有罪です。つまり、刑事弁護の被告人にとって、無罪を取れるかどうかよりも遥かに重要なのは起訴されるかどうかです。  同じように、2018年のデータで逮捕状が却下される確率も0.34%。勾留却下率も(最近上がっているとはいえ)5%程度です。  このような状況において、刑事司法において裁判所は厳格に検察から独立しているとはとても言えません。つまり、実質的に検察は司法権の一部を担っているのです。  この事は極めて大きな問題ではありますが、一旦おいておきましょう。  このような現状で、司法府が独立しているから、検察庁の独立性に気を配らなくてもいいというのは、木を見て森を見ない議論です。  検察は、ロッキード事件、昨今で言えばカジノ汚職などをなどを見ても明らかなように、大臣や政治家を逮捕する可能性がある機関です。  そのような機関の指揮監督を行うポストに関して、内閣の裁量で定年を自由に操作できるというのは極めて大きな問題です。  ましてや、実質的に司法が機能していない日本の現状の中で、検察の独立性が失われることは、権力分立の原則から言っても危機的状況と言えるでしょう。
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デュー・プロセス(適正手続)の問題
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