当時の主力蒸気機関車には劣ったが、四国鉄道無煙化を担った国鉄電気式ディーゼル機関車<コロラド博士の鉄分補給>

展示中の電気式ディーゼル機関車DF50-1

展示中の電気式ディーゼル機関車DF50-1 2019/11/23撮影 牧田寛
四国鉄道の無煙化に貢献したDF50のトップナンバー(三菱重工製造)で、準鉄道記念物です
下り(松山方、1エンド側)から撮影

四国鉄道無煙化の担い手DF50-1

 前回、四国鉄道文化館北館に展示されている新幹線0系電車21-141をご紹介しました。今回はその隣に展示されている国鉄電気式ディーゼル機関車DF50-1をご紹介します。今回も写真とそのキャプションで多くの説明をしています。  DF50-1は、1957年に製造されたDF50の先行試作車で、準鉄道記念物です。量産型を含めて138両製造された、本邦初の実用型として量産に成功した大型ディーゼル機関車です。当時、日本には鉄道用大型ディーゼル機関の製造能力がなかったために、エンジンはドイツからのスルザー型、マン型二系統の技術導入となりました。  日本は今でこそ内燃機関技術に優れていますが、当時は、戦前からこの分野では著しく後進的で、とくに国鉄ではディーゼル機関の開発が思わしくありませんでした。  結果として気動車(ディーゼルカー)の大量配備においては、戦前のたいへんに遅れた技術によるDMH17系ディーゼルエンジンが1951年(昭和26年)に採用され、1960年代末まで大量に配備されました。そのため今世紀になっても基本設計が戦前のDMH17系エンジンが現役で大量に使われていましたが、2010年前後に急速に廃車となり、今日では小湊鐵道などの民鉄に残る状態です。  機関車用大型ディーゼルエンジンの開発も当時の国鉄には困難で、ドイツからの技術導入となりましたが、同様に変速機の製造技術も未発達であったために電気式ディーゼル機関の採用となりました。  電気式ディーゼル機関とは、ディーゼルエンジンで発電機を回し、発電した電力でモーターを動かすというもので、機関が複雑で重くなると言う弱点がありました。一方で起動トルクが電車同様に大きいなどの利点もたいへんに多いのですが、残念ながら当時の技術では電気式駆動の利点は生かせませんでした。  DF50は、残念ながら当時の主力蒸気機関車であるD51やC57などに比べると性能不足のために代替となりませんでしたが、軸重を小さくできたために規格の低い亜幹線に乗り入れることができ、四国では土讃本線と予讃本線(高松・伊予市間)の無煙化に貢献し、C58などの蒸気機関車を駆逐して行きました。  筆者は、日豊本線の延岡・宮崎間でDF50牽引の客車列車によく乗ったものでした。当時の南延岡機関区には、蒸気機関車D51(なめくじ型)とDF50がいたと記憶しています。

静態保存中のDF50-1

展示中の電気式ディーゼル機関車DF50-1

展示中の電気式ディーゼル機関車DF50-1 2018/11/02撮影 牧田寛
上り(高松方、2エンド側)から撮影
手入れが行き届いていてピッカピカです

展示中の電気式ディーゼル機関車DF50-1

展示中の電気式ディーゼル機関車DF50-1 2018/11/02撮影 牧田寛
上り(高松方、2エンド側)から撮影
木製のデッキがあり、鎧戸越しに機関室を見ることができます。このデッキから松山方の運転台に入れます

展示中の電気式ディーゼル機関車DF50-1

展示中の電気式ディーゼル機関車DF50-1 2018/11/02撮影 牧田寛
高松方運転台(2エンド側)
運転席の窓の下にある銀色の棒は、タブレットキャチャー

 このDF50-1は、四国で大活躍した後、1983年に引退、その後、準鉄道記念物に指定され、多度津工場で動態保存されてきました。2007年10月13日の多度津工場一般公開の時には、既にエンジンは起動するものの部品不足のために走行は不可能になっていたとのことでした。この多度津工場での一般公開を最後に同年11月26日開館の四国鉄道文化館へ移設されました。このDF50-1は、車籍を残しているとのことです。  四国鉄道文化館では静態保存に移行していますが、ピッカピッカに磨かれていて、説明プレートもたくさん貼られ、運転席に入って触り放題です。これは素晴らしいです。  DF50-1の周囲を一回りし、ウッドデッキに登って機関室を覗いたあとで運転台に入りました。
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触り放題なのに保存状態のよい運転席!
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