ある老舗ソフトの名称をTwitterがBAN。ネット時代に蔓延る「言葉の死刑の冤罪」について考える

グローバル時代の言葉狩り、文化狩り

 言葉やサインの意味が上書きされて、それらが社会から排除されていく。インターネットとグローバル化により、その傾向が加速していく懸念がある。  元々言葉やサインは変容するものだ。また、放送禁止用語などのNGワードなどもあり、社会から自主的に排除されてきた。今以上に次々と言葉が規制されて利用できなくなったらどうなるか。そうした思考実験は、既に1949年に刊行された小説でおこなわれている。ジョージ・オーウェルの『1984年』だ。同作品は日本語訳されたものをWebで読める。小説として面白いので、未見の人は読んでみるとよいだろう。  『1984年』には、全体主義体制国家が管理している言語『ニュースピーク』が登場する。この言葉は、頻繁にアップデートされて、党に不都合な単語や、個人の思考を手助けする言葉などが使用禁止になっていく。その規制に合わせて、過去の記録や作品も改竄されていく。  人間は、言葉に概念を濃縮させることで、複雑な思考を実現可能になった。それは、細胞が集まり、複雑な臓器ができて、人体を構成するのに似ている。そうした臓器が解体されると人間という存在は維持できなくなる。意識も似ており、思考のツールである言語が解体されると、疑問や疑念を上手く言葉にできなくなる。また、その言葉が成立した歴史的な経緯も忘れられていく。  多くの場合、言葉やサインには重層的な意味がある。辞書を引いたことがある人は思い出して欲しい。各単語には複数の意味が書いてある。それらは時代によって、意味が変化したり、追加されたり、上書きされた過程の履歴でもある。  言葉やサインを封印するのは簡単だ。インターネットなら機械的にフィルタリングすることも可能だろう。しかし排除の理由が、言葉やサインが持つ、重層的な意味の「一部」だったらどうか。排除が安易に繰り返された結果、様々な文化が失われたとしたらどうだろう。  情報技術が発達して、多くの人が情報発信できるようになった。そして、ヘイトスピーチが瞬時に世界中に拡散する時代になった。悪意ある発言の害を止めるために、言葉やサインのフィルタリングは、コスト面で有用な方法だろう。  しかし、それは手放しの善ではないことは知っておく必要がある。そして願わくは、安易に排除するのではなく、アクセス可能な状態で分別するべきだ。人間の死刑に冤罪があるように、言葉の死刑にも冤罪がある。機械的なフィルタリングの問題は、今後もやむことはないだろうと考えている。 <文/柳井政和>
やない まさかず。クロノス・クラウン合同会社の代表社員。ゲームやアプリの開発、プログラミング系技術書や記事、マンガの執筆をおこなう。2001年オンラインソフト大賞に入賞した『めもりーくりーなー』は、累計500万ダウンロード以上。2016年、第23回松本清張賞応募作『バックドア』が最終候補となり、改題した『裏切りのプログラム ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』にて文藝春秋から小説家デビュー。近著は新潮社『レトロゲームファクトリー』。2019年12月に Nintendo Switch で、個人で開発した『Little Bit War(リトルビットウォー)』を出した。2021年2月には、SBクリエイティブから『JavaScript[完全]入門』、4月にはエムディエヌコーポレーションから『プロフェッショナルWebプログラミング JavaScript』が出版された。
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