本当のことがわからなければ、「屁理屈」だという判断もできない
この「ご飯論法」について、こんなにいろいろと説明が必要な言葉を作る必要はなく、「屁理屈」や「言い逃れ」などの従来からある言い方でいいではないか、という方もいる。
しかし、違うのだ。
「屁理屈」だとはわかりにくいのが、「ご飯論法」なのだ。
「news23」の特集では冒頭で「ご飯論法」の実演があった。山本恵里伽キャスターがトーストを口にしようとしており、その姿を見た小川彩佳キャスターが「朝ごはん、食べてるんですね?」と問い、山本キャスターが「いいえ、ご飯は食べてないです」と答えていた。
こういう状況だと、「ご飯は食べてないです」という答えは、パンを食べていることを否定するための苦しい言い逃れであることが、誰が見てもわかる。しかし、実際に国会で行われる質疑では、パンを食べていたという事実は明らかではない。その中で「ご飯論法」の答弁が行われているのだ。
例えば「news23」でも紹介された次のやりとりを見てみよう。「桜を見る会」についての本格的な追及の開始時点である、昨年11月8日の参議院予算委員会での田村智子議員の質疑に対する安倍首相の答弁だ。
国会パブリックビューイングのこちらの字幕付き映像では
8分46秒ごろからだ。
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田村智子(日本共産党):総理、つまり、自民党の閣僚や議員の皆さんは、後援会、支援者の招待枠、これ自民党の中で割り振っているということじゃないんですか。これ、総理でなきゃ答えられない。総理、お答えください。総理でなきゃ答えられない、総理でなきゃ答えられないですよ。
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安倍晋三(内閣総理大臣): いや、今説明しますから。
桜を見る会については、各界において功績、功労のあった方々を各省庁からの意見等を踏まえ幅広く招待をしております。招待者については、内閣官房及び内閣府において最終的に取りまとめをしているものと承知をしております。私は、主催者としての挨拶や招待者の接遇は行うのでありますが、招待者の取りまとめ等には関与していないわけであります。
その上で、個々の招待者については、招待されたかどうかを含めて個人に関する情報であるため従来から回答を差し控えさせているものと承知をしておりますが、詳細についてはですね、詳細については政府参考人に答弁させます。
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いかがだろうか。
「私は、主催者としての挨拶や招待者の接遇は行うのでありますが、招待者の取りまとめ等には関与していないわけであります」という答弁からは、「桜を見る会」当日の挨拶や接遇は行うが、「桜を見る会」に誰を招待するかにはかかわっていない、と聞こえないだろうか。
実は
後援会関係者を幅広く募っていたことは、その後、野党側から物証が提示されて言い逃れができなくなり、安倍首相も認めていくのだが、この時点では認めていなかった。
前回の記事で紹介したように、毎日新聞はこのやりとりを翌日11月9日の朝刊で「
安倍首相:桜を見る会『後援会優遇』指摘 各界功労者を招待 首相『関与していない』」と報じた。安倍首相は否定した、と読める見出しだ。
この答弁がどのように「ご飯論法」であったかは、次のように言い換えてみるとわかりやすい。
●田村智子議員 総理、つまり、朝ごはんは食べてたんじゃないですか。
●安倍首相 私は起きがけに水を一杯飲んだわけですが、ご飯は食べておりません。
水を飲んだが、ご飯は食べていない、と答えることによって、あたかも何も食べていないかのような印象を相手に与えることができる。しかし実はパンを食べていた(=後援会関係者を幅広く募っていた)。
この答弁が巧妙なのは、
パンを食べていたことがあとでばれても、虚偽答弁には当たらないと言い張ることができることだ。パンを食べていないとか、何も食べていないとかと答弁しているわけではないのだから。しかし、
あたかも何も食べていないかのように相手に、そしてそのやりとりを見ている第三者に思わせる、非常に不誠実な答弁だ。実際、毎日新聞はこの「ご飯論法」に騙された状態で、前述の記事の見出しを書いたように思える。
このやり取りの中で、どのように巧妙にパンが隠されていたかは、次のように分解して考えればわかりやすい。
国会パブリックビューイングの街頭上映スライドより
●田村智子議員:招待客を自民党の中で割り振っているのでは?
↓
●安倍首相:私は、主催者としての挨拶や招待者の接遇は行うのでありますが、招待者の取りまとめ等には関与していないわけであります。
〈募集〉安倍事務所が幅広く参加を募る
〈推薦〉内閣官房に連絡
〈招待〉内閣府・内閣官房が取りまとめ
〈当日〉主催者として挨拶・接遇
この場合、
「隠されていたパン」は、募集と推薦のプロセスだ。実はそこでは
安倍事務所が後援会関係者を幅広く募っていたのだが、そこは巧妙に隠され、推薦者を内閣府・内閣官房がとりまとめて招待状を送る、そのプロセスだけに言及し、「招待者の取りまとめ」という事務的なプロセスに関与していないと否定して見せることによって、招待に至るすべてのプロセスに関与していないかのように印象づける答弁を行ったわけだ。
このやりとりを見て、田村議員は「屁理屈だ」と見破れたかもしれないが、その場にいた他の野党議員は、これが「屁理屈」だったと見破れたかどうかは疑わしい。
何かごまかしているのだろう、ということは、やりとりを見ていればなんとなくわかる。その上で、「ああ、こんな風にごまかしていたのか」とより詳細に見破ることを可能にするのが、「ご飯論法」という読み解き方なのだ。