すべての障害者の社会参加が保証されていくことが「私の使命」
次に木村氏が集会の主旨説明を行った。
「私と舩後さんが国会活動を行なっていくうえで、重要な命綱である重度訪問介護が利用できないという制度の欠陥の壁に当たり、重度障害者の社会的障壁が浮き彫りになりました。
介護者がいなければ、国会に登院できないという事実を記者会見で公表し、皆さんに重度障害者の訴えが行われました。私は国会議員になって少しでも障害者の皆さんのために活動をしたいと思っていました。いざなってみると、議員になったら介護制度が打ち切られて生活ができなくなるという恐怖でメディアに訴えました。
私が議員になったことで、私を通してすべての障害者たちの社会参加が保証されていくことそのものが私の使命だと思いました。
重度訪問介護が誕生しなければ、今現在、地域の中で生活している多くの障害者の自立生活は実現していかなかった、と言っても過言ではありません。
この制度は障害者運動を戦ってきた先人たちが命がけで勝ち取ってきた歴史があります。重度訪問介護制度は障害者が施設にいることが当たり前とされてきた1970年代初めに、施設での虐待や非人間的扱いに抗議した障害者たちが都庁前に座り込んで、地域で生きるための介護保障運動を起こしたことに始まります。
介護制度が何もない当時、東京都と当事者の話し合いが繰り返され、1974年に重度脳性麻痺者介護人派遣事業が創設されました。その後、国の傘下に入り、全国に広まって、自立する障害者が増えていきました。
地域で生きる障害者の自立と社会参加を目的として作られたこの制度は、2003年に支援費制度の日常生活支援に引き継がれ、現在の障害者総合支援法による重度訪問介護制度となっています」
自治体によっては、最低限度の生活が保障されていないところも
木村議員(れいわ新選組ウェブサイトより)
さらに木村氏は、現在の重度訪問介護が抱える問題について語った。
「私たち障害者が受けている重度訪問介護は訪問支援法の中で社会参加が謳われていますが、トイレ、食事、入浴、移動など、人が生きていくための最低限の生活動作の保障がやっとです。
さらに自治体によっては支給される介護時間が足りず、1日に1回しか食事が取れない、トイレも我慢して体を壊すなど、生活が逼迫し、最低限度の生活すら保障されていないのが現実です。
障害者運動によって生まれた介護保障が始まったときから、健常者と同等な社会参加の保障は46年間も放置されてきました。
障害者の現状は幼い頃から『障害がある』という理由で健常者と分けられてしまうことで、ともに認め合い、ともに生きる環境が整っていません。
子供の頃から介助者をつけて地域に出ることによって、大人になってからの社会参加ができる力を養うためにも、通学などで困っている人たちに対しても、この制度は必要だと思います。
日本は2014年に国連の障害者権利条約に批准し、2016年には障害者差別解消法が施行。障害者の人権と社会参加が叫ばれています。現行の障害者総合支援法は、この条約に規定された障害者の権利が保障されるには、ほど遠い法制度と言わざるを得ません。
来年にはこの法律の見直しも控えています。私たちの長い差別の歴史に終止符を打つために、ここにお集まりの皆さんとともに介護の必要な障害者が地域の中で当たり前に生きるための社会参加の保障を実現していきたい」